episode.4 食堂の先のブランシュネージュ
どれだけ辛いことがあっても、当然のように次の日はやってくる。
そうして、シスター死後、2回目の朝日が教会の真っ白な外壁を明るく照らし始めていた。
今日の朝食の当番は、アーノルドとローワンだった。
アーノルドは子供たちの好きな食べ物がなにか必ず覚えていたりなにかと心遣いのある人物だ。今日の朝食の献立も彼らの好みに合わせたものになるだろう。
トーストを焼く。卵をフライパンに投げ入れかき混ぜる。ベーコンをのせる。ペッパーをふる。採れたてのレタスをちぎる。真っ赤に実ったトマトをきる。昨晩から煮込んでおいたスープを温める。
人数分の皿にのせ、彩りよく飾ればそこにはいかにもな朝食が並ぶ。
はずだったのだが、レシピ通りに一切の狂いもなく食事を用意するアーノルドの隣では非常に香ばしい香りが立ち込めていた。犯人は今日の相棒、ローワンである。
彼はあろうことか、大量のお肉を朝から焼き上げていたのである。鳥の照り焼きがこんがり、とても美味しそうだ。してやったり顔で得意げな顔をしているが朝からこんなに茶色いものを用意しても食べられる子は限られるだろうに。
アーノルドは怒られないといいな、と苦笑いを零す。
________
全員が食卓に集った頃、プレートに盛られた優しそうな味の朝食の隣には茶色い照り焼きがこれでもかというほど自身を主張していた。それを用意した当の本人といえば、誇らしげな顔で隣のガルシェにこれはカバの肉だ、とほらをふいている。
ローワンはこういう明るさがいい所でもあり、悪い所でもあるのだ。現に、ローワンの向かいに座る長くて美しい金髪を三つ編みに結い上げた1人の少女は冷ややかな目で笑顔を彼に向けている。
「ちょっと、あなた達?フルーツは?色とりどりの野菜たちは?言っておくけど、朝一番に胃に入る朝食は美容に欠かせないのよ!こんなもの食事とも言えないわよ」
ぷんぷんどころか、めらめらと後ろで炎が燃え上がっているのを感じる。彼女の正面に座っているローワンは先程とは打って変わって冷や汗がその顔に伺える。
「なんとか言ったらどうなのよ」
じとりとした目でリンダがローワンを睨む。
蛇に睨まれたカエルとはこのことか、とフロイドが呆れ顔でお肉を口に運んでいる。
「わぁ!たまには朝からお肉もいいね」
マイペースにも燃え上がるリンダの言葉を遮ったのはペルセイだった。どうやら、朝のお肉がお気に召したらしい。呆気とられたリンダの向かいではニヤリとすました笑顔のローワンがいた。
「美味しいね、お兄ちゃん!」
笑顔で隣のアーノルドにミアがはみかむ。口にいっぱいにパンを頬張っている彼女のそんな姿が愛らしい。パンくずがついているよ、と口元を拭ってやれば、ありがとうとまたはにかんだ笑顔をゆるりと見せてくれる。
「うん、とっても美味しいよ」
みんなと食べる食事が大好きなんだと、ミアにつられたようにアーノルドの頬も緩まる。
彼らのやりとりに静かに笑って、楽しそうに見つめる彼女の存在が薄れていくことは未だなかった。だが、確かに美味しそうに食事を頬張る子供たちの顔は心から幸せそうだった。
__________
食器たちの片付けが終わった頃、濡れた手を拭きながらアーノルドが最後に席に着く。子供たちは、食後の時間を楽しむ間もなく昨日の探索の報告を行うために集まっていた。
「さて、それじゃあめぼしい物でも見つけた人はいないかしら」
今日の議長を行うのはセレーネ。いや、これに関して言えば毎度のことだろうか。ぐるりと子供たちを見渡せば、それぞれが思い思いに昨日のことを思い返す。
彼らが目にしたのは教会の中に蔓延るシスターとの思い出だった。彼女を恋しく想う気持ちが高まるだけで犯人に差し迫るような収穫がなかなか見込めなかったのだ。
「そういえば、事件と関係あるかは分からないけど庭で........。」
「その........。」
「........白骨化もしていない動物の死体が埋められていたんだ。」
両の手を握りしめるようにしてうつむきながらアーノルドが恐る恐る声を出す。
その状況を思い返したのか彼の顔は青白い。相当、衝撃的な光景が彼の前に広がっていたのだろう。
その報告を聞くだけで背中がすっと凍るのをガルシェは感じて顔を歪ませている。動物を殺す、なんて。
「動物の死体?随分、猟奇的だぜ。」
やれやれ、といった口調でローワンが返事をする。
「仮に、例のシスター殺しの犯人の仕業だとするなら、日頃から殺害衝動に駆られていた。ということになるね」
冷静に報告の推理をペルセイが行う。
「まぁ、犯人の仕業とは限らないけれど」
彼の考察はほぼほぼ正しかった。
確かに、庭の白骨化していない死体が犯人がやったものと決めつけることは現段階では厳しい。しかし、犯人は猟奇的な人物であり日頃から殺害に興味があったと裏付けるには十分な発見にも思えた。
「貴方にしてはいい発見をしたじゃない。」
先程から顔を青白くさせているアーノルドにツンとした態度でリンダが言った。その言葉自体は偉そうでぶっきらぼうに見えるが、長年付き添っていたアーノルドからすれば彼女なりの優しさで、励ましの言葉だということは分かっていた。アーノルドはありがとう、と柔らかい笑みをみせる。
様子を見て、セレーネがまた次の報告を求める。
「それじゃあ、他には何かないかしら?」
「物置小屋で、不自然なものがあった」
声をあげたのは、卑屈な紫髪の彼だった。
「昔からシスターが愛用していたティーカップが物置小屋にあった。シスターがそこに置いた、というよりも他の人が隠したという方が妥当な印象だったね。まぁ、こんな些細なこと報告するまでも無いかもしれないけど」
最後に余計な一言を加えるのは彼の癖のようなものだ。その眉間にはシワがよせられていた。
「そういえば、前にシスターがティーカップがないと言っていたわ」
フロイドの話を聞いてふと思い出したイザベラが小さく透き通るような声を発した。
「物がなくなったたといえば、私もいくつかなくなったものがあるわよ」
「うーん、僕もいくつか覚えがあるかもしれない」
ペルセイはともかく、しっかり者のセレーネが物を失くすようなことは滅多にない。それは、シスターもしかりだ。まして、彼女はあのティーカップがかなりお気に入りでよくみんなの前でも磨いていた。そんな物を失くすだろうか?
「誰かさんが盗んだとか?」
ミアがぽつんと呟いた言葉に、子供たちは穴にはまる何かがあったように共感した。
確かに、それらのことは盗まれ隠されたと言った方がしっくりくる部分がある。セレーネやペルセイのように最近私物がよくなくなる事件があったのでそれもきっとこれに関係しているのだろう。
「それも犯人の仕業だとするなら、犯人は随分ひねくれた人に違いないわね」
セレーネはうんうんと頷きながら1人状況を整理するように言う。
ここまで教会内に蔓延るおかしな状況を述べ整理すれば、犯人はやはり教会内の中にいるのではないかと子供たちはどこか確信していた。自分たちの中に。
不自然なことがあまりにも多すぎるからだ。外部の人間の可能性というのは、やはりないように思える。
「あまりこれは聞きたいことではなかったけれど、シスターが殺されたあの日の前、それぞれが何をしていたか確認した方が良さそうね」
みんなのアリバイを直ぐに聞かなかったのは、この中に犯人がいると疑いたくないと思っていたから。ただ、この状況を垣間見て遂にセレーネが口を開いた。彼女の表情は暗い。
本心からこの中に犯人がいるなんて、彼女も望んではいないが仕方のないことだった。誰も彼も、現実を知らされる事を恐れていた。
彼らにとって、いわば家族のようなみんなを疑うその労力は、計り知れないほどである。辛いと泣きわめくだけなら誰でも出来る、そうしなかったのは隣で手を取り合っていける存在がいたからだ。
________________
「ミアちゃんは、シスターにおやすみなさいの挨拶が済んだら、イザベラちゃんと一緒にお部屋でお絵描きしていたよ」
「私も、ミアお姉ちゃんと一緒にずっと居たわ。あの子たちの声を聞かせてあげられたら証明になるのに」
「僕がシスターに最後に会ったのは夕食前だったなぁ。ほら、その日は星が綺麗だったから暗くなったら外でひとり星を見に行っていたんだ。深夜になる前には部屋に戻ったよ」
「私は夕食後、ずっと部屋で髪を整えたり香油を試したりしていたけれど。シスターに会ったのは、寝る前にホットミルクを入れに行った時かしら。丁度シスターが部屋に戻るところでお休みの挨拶をすましたわ。」
「俺は、その日は食器の片付け当番だったからキッチンに居たよ。テーブルクロスに着いた汚れがなかなか落ちなくて........。部屋に戻る前にリンダに会ったなぁ。」
「私は夕食が終わったら、外に散歩に出かけていたわ。ペルセイが外で天体観測していたのなら遠目に見かけたわよ。部屋に戻ったのは遅かったわね。時計が12時を回る頃かしら」
「俺は途中までセレーネちゃんと一緒に散歩していたんだけど、セレーネちゃんより先に部屋に戻ったよ。少し疲れたから。部屋に戻りかけた時にシスターと会って少し会話をしてから別れたよ。その後はずっと、部屋に居た」
「オレは、夕食の後はすぐ家畜小屋に行ったぜ。少し眠くなってウトウトしてたらいつの間にか寝てたみたいで気づけば夜だったから急いで部屋に戻ったな。その時は誰にも会わなかったし慌ててて、何時かもよく覚えてないぜ」
「俺はずっと部屋にいて本を読んでた。シスターには夕食後1回も会っていない。あと、ローワンなら部屋に戻ったのは11時頃だったはずだね。ケモノ臭かったかよく覚えてるんだ。」
_________________
一人一人の行動を確認したあと、子供たちは
誰一人言葉を発することが出来なかった。
この時に、聡明な者であればその違和感や根拠の有無などを問答していたかもしれない。ただ、彼らは出来なかったのだ。
例えば姉妹が口裏を合わせているだけで本当は部屋の外にいた可能性は。
例えばペルセイが人目を盗んでシスターの部屋に外から入り込んだ可能性は。
例えばリンダが部屋に戻る際に本当はシスターと出会っていなかった可能性は。
例えばアーノルドがずっとキッチンにいなかった可能性は。
例えばセレーネがガルシェと別れた後にシスターの部屋にいった可能性は。
例えばガルシェが本当はシスターと会話をしていなかった可能性は。
例えばローワンが居眠りをこいていなかった可能性は。
例えばフロイドが1度でも部屋の外にでた可能性は。
それを声に出して、糾弾しよう者はこの中には誰もいなかった。今の発言は口裏を合わせたものかもしれないし、嘘八百を並べたものかもしれない。
それを確かめることは大切な家族を少しでも疑いをもって接してしまうことになる。それを彼らは恐れたのだ。この状況になり、犯人の存在にまた違った意味で恐怖を覚え始める。誰もが怪しい気がした、でも誰も疑うことなんてしたくなかった。
「みんなの話が本当なら、そうね。やっぱりこの中に犯人なんて........」
そう呟き声が小さな声で聞こえる中、はっと何か大切なことを思い出したかのようにあ!と大きな声をペルセイがだした。
突然の声に隣のミアが肩をびくつかせる。
「そういえば、礼拝堂の奥の懺悔室に行こうと思ったんだ。でも、鍵がかかっていて中には入れなくて........」
「何か、心当たりのある人はいる?あそこはシスターしか出入りが許されて居なかったから鍵の管理もシスターがしていたし」
この教会中を全員で探索しても、それらしきものは無かったが改めて探す価値はあるだろう。
シスターしか入ることが許されなかった懺悔室。未だ唯一、調べることが出来ていない場所。
そして彼女が亡くなっていた礼拝堂に最も近い場所だ。
「それじゃあ、今日の作業にはその鍵探しも含まれそうね。」
「わー!宝探しみたい!ローワンお兄ちゃん、どっちが先に見つけられるか勝負だよー」
「ミアぐんそうが、オレに勝てることはないと思うけどな!」
____________
じわりと冷や汗が頬をつたう。
ついにバレてしまったか、と手を強く握り締める。
幻滅されるかもしれないと思って、真実を口に出すのを躊躇した。
ジッと見つめるのはあの子のこと。
どうか........。
……。
いや……。
【探索開始】
2日目 昼
セレーネは礼拝堂へと繋がる渡り廊下を歩いた。古びたタイルは割れ、隙間からは苔が生えてきている。随分とここの建物が古い事を感じた。ここもいずれは腐り落ちてなくなってしまうのでは無いかと考えると、怖くなった。
ミア・リッピンコットは立ち止まった。
ふと、窓の外をみれば雨がバシャバシャと音をたてている。は!と1人大きな声をあげて走り出す。
「洗濯物がそのままだよ〜」
慌てて回収しに行ったところミアの服が濡れてしまっている。ひとまず暖炉で温まることにした。
イザベラ・リッピンコットはガブリエル部屋にきた。簡易的な望遠鏡と、星の名前がギッチリ刻まれた星座表は、ペルセイお手製のものだろう。
「リボン座なんてあるのね、可愛いわ」
くすくすとイザベラは星座表を手にとってみた。
イザベラは部屋を後にした。
アーノルドはガブリエル部屋にきた。簡易的な望遠鏡と、星の名前がギッチリ刻まれた星座表は、ペルセイお手製のものだろう。
「すごいなぁ、ペルセイは。俺はこんなもの絶対に作れないや」
感心したようにうんうんと唸ってアーノルドが星座表を手にとって呟いた。
アーノルドは部屋を後にした。
ローワンは食堂の小さな机を見た。お花が飾られている。昨日に比べて少し萎びていたのが気になったので、手で水をすくって与えた。
「本当に花が好きだったあの人はもういないのに」
こんな物もう誰が気にするのだろうか。すっと目を細めて元気のない花を見つめた。
ローワンは食堂を後にした。
ペルセイは書庫にきた。今日はしとしとと雨音がよく響く。これは昔よくシスターが読んでくれた絵本だ。シスターの声を聞くと安心するんだ。もう二度と聞けなくなってしまったこと、今でも酷く信じ難い。このキラキラした思い出だけはくたびれることはないと信じよう。
フロイドはウリエル部屋にきた。綺麗に整頓された部屋だ。掃除も徹底されているようで、汚れた部分は見当たらない。 無駄な物があまりない部屋に、シーツの上にある鳥籠が少し異様に感じた。
つまらない部屋だ、とフロイドはそれを一瞥して部屋を後にした。
ガルシェはシスターの部屋を見渡した。聖書が置いてある。シスターは神にすべてを捧げていたんだ。なのに、なぜ神はシスターを救ってくださらなかったんだろう。
ガルシェは立ち止まった。
ふと、聖書を手に取ってパラパラとめくればここに来てシスターから教えてもらった決まり事なんかについて難しい言葉で書かれている。
聖書を最後のページまでめくり終わり部屋をもう一度見渡した。
シスターの匂いで満たされたこの部屋に、眠れない夜にこっそりとノックを叩いたことがあった。思い返せば、酷く喪失感に襲われて持っていた聖書を床に落としてしまう。
それを拾い上げようと屈んだ瞬間に、きらりとしたものが目に入る。
これは鍵だ。
【イベント発生】
ガチャリ
古びた木製の扉に鍵を差し込んだ。調子の良い音を立て、扉が開く。
「ここの鍵で合っていたみたいだね」
「よく見つけたわ、ガルシェ」
セレーネがガルシェの頭をポンポンと撫でる。
1センチしか違わないはずだが、彼女にとってガルシェはいつまでも弟分のようなものなのだろう。
懺悔室の扉が開いた。
_________
中央には椅子がひとつ置かれている。その向かいには壁があり、声だけが届くように格子状の小窓が付けられている。その壁際にはまた、扉がある。こちらには鍵が掛けられていないようだ。
礼拝堂のつくりも荘厳で芸術を感じさせられるが、こちらの懺悔室もそう変わりない。中には光が指す場所がなくまだ昼間だと言うのに薄暗い。
「シスターがよく出入りしていただけあって、掃除は行き届いているみたいね。埃臭いかと思ったけどそうでも無いわ」
リンダが拍子抜けしたようにほっとして呟いた。確かに、シスターが定期的に掃除までしていたようで中は綺麗だ。
「特に違和感があるようにも思えないが、ここはどうして立ち入り禁止だったんだい?」
そう尋ねるガルシェは、教会にやってきて礼拝堂を案内された時にちらりと紹介されただけでこの懺悔室について詳しく知らなかった。
「シスターは、神様に懺悔することなんて俺達にはないから入る必要はないんだって言っていたけど。さぁ、実際はどうだったか。」
聖痕を授かりし神の子である子供たちにとって、懺悔室とは無縁なものだろう。彼らは懺悔するような罪などないのだから。
ただ、それならばどうしてこの教会に懺悔室があるのか。という疑問が浮かぶ。
「懺悔室には悪いことをした子が入れられてずっと出して貰えないって小さい頃には聞いたことがあるなぁ。実際に入れられたような子は見たことがなかったけど」
ローワンがふと小さい頃に年長の子供から怖がらされ、散々聞かされたことを思い出す。
あの時は恐ろしく思っていたが、時間が経てばその恐怖も薄れるものだ。
「僕達もよく知らないなぁ。ただ、シスターは本当によくここに出入りしていたよ。」
「一度だけ懺悔室に入ったシスターの声なら聞いたことあるよ。あまりよく聞こえなかったけど確かにシスターは何かに謝っていたな........」
懺悔室でシスターが神に謝罪をこうようなことがあるだろうか。シスターが本当にこの中で何をしていたのか、ここを調べれば様子が少しでも分かるだろうか。
そう思って、子供たちは奥の扉を開く。そこには応答者の椅子が一脚置かれている。特にこれと言って違和感があるようなものは無い。至って一般的な懺悔室のつくりである。花瓶に入れられた花は枯れていた。
ただ、不思議ともう少し、もう少しだけここを調べようと思った。
ここには何かある気がした。
何故かは分からない確信があった。
何度も何度も味わったよう心の底を何か透明なレンズで見透かされているようで気色が悪い。
「ここは暗いね。今、ろう台を持ってくるよ」
そう言って、ガルシェが扉を抜け渡り廊下を戻っていく。
ここは灯りが必要だ。
何故かそう思う。
昼間なのにマッチを持ってくるなんて、くすくすと双子が笑い合っていた。
【探索開始】
懺悔室
セレーネはじっと中を見た。古びた椅子は木造で、随分年季が入っているように感じた。ここに訪れる人なんて、いるはずもないのに何故鍵をかけていたのかしら?
ミア・リッピンコットは鼻をつまんだ。ツーンとしたかび臭いが鼻を通った。もうこれ以上何かがあるように、感じられなかった。
ガルシェはぐるりと中を眺めた。特にこれといって変わった様子はないように感じた。
イザベラ・リッピンコットはぐるりと中を眺めた。特にこれといって変わった様子はないように感じた。
ローワンは何か嫌な物を感じたので、極力中を除きたくなかった。
アーノルドはじっと中を見た。古びた椅子は木造で、随分年季が入っているように感じた。ここに訪れる人なんて、いるはずもないのに何故鍵をかけていたのだろう?
ペルセイはじっと中を見た。古びた椅子は木造で、随分年季が入っているように感じた。ここに訪れる人なんて、いるはずもないのに何故鍵をかけていたのだろう?
リンダは目を凝らして見ると、椅子の下にある小さな窪みの様なものがあった。灯りをかざしてみると、そこに取手がある事に気づいた。
小さなドアの様なものを開けてみると長い暗闇に繋がる梯子があった。子供達と"細身の女性"でなければ入る事は難しいだろう。中まで灯りを当ててみると、下に通路があるように見える。
「地下に続いている入り口……?」
仕掛け扉のように地下へと繋がる階段がそこにはあった。
礼拝堂には地下室があった、その事実に全員が目を開き驚いている。
シスターはここの存在を知っていたのか。
それならシスターはこの先で何をしていたのか。
僕達は蟻地獄に陥った蟻のようだった。ここから先出ることが出来ない、ずるずると底なしの闇に引き込まれていくような感覚がする。このまま何処までも。
分からない事だらけで、困惑し今すぐにでもベッドの暖かな毛布に包まれたい。シスターが夕食の用意をする音が聞こえてくるからその匂いで起きよう。お昼寝なんて贅沢ね、とくすくす笑う彼女を寝癖のついたクシャクシャな髪を手櫛で整えながらおはようと挨拶するんだ。
なんて現実逃避をして今すぐここから逃げ出してしまおうか。
_______
「そんな顔するなよ」
「大丈夫さ、心配することなんて1つもないに決まってる」
隣で途方のない現実に青ざめていくリンダの頭をローワンがグシャグシャと掻き回した。やめてよ、髪が崩れるじゃない。
いつもの彼女ならそう言って彼に文句を付けていただろう。そんな事さえ雑然とした感情に飲み込まれ口が動かなかった。ただ、その優しい言葉にほっと安心する。
「あぁ、何だって........」
頭を抱えたフロイドが、この先で待ちわびているであろう何かに怯えていた。確かにこの先に解決の兆しが見えるような確信があった。ただ、一抹の恐怖が拭いきれないのだ。
大丈夫、そう言い聞かせた。そうしないとこの階段を降りることはきっと難しい。
「ミアお姉ちゃん........」
ぎゅっと、イザベラがミアの手を握る。2人の手は震えていた。フリルがあしらわれた真っ白なワンピースが暗闇に飲み込まれていきそうだった。
「離れないで一緒に行こう」
2人を守るように小さな背中を彼女たちに向けるのはガルシェだった。
ろう台をもった彼の手もカタカタと微かに震えているのに。彼が自分から彼女達の前に立ったのは、ガルシェらしくない行動にも思える。ただ、それは彼の優しさからくるものでこの状況で自分より小さな子を守ろうと思ったからだろう。
「セレネ、大丈夫?」
彼の真っ白に美しい片目は何も移さない、そのもう片方の目でとらえたストロベリーブロンドの彼女を心配して声をかけた。
「........大丈夫よ」
長い髪に隠れた彼女の表情は読めない。片目だけの彼に写るのは小さな視界の世界だけだ。手を差し出そうか悩んだ内に、そっと彼女が階段をおりだしていく。
それに続くように石畳の階段をカツカツと靴の音が響き渡る。
暗い足元をろう台が照らしていた。
先程ろう台持ってきたのは正解だった。
そう思った。
next……
どれだけ辛いことがあっても、当然のように次の日はやってくる。
そうして、シスター死後、2回目の朝日が教会の真っ白な外壁を明るく照らし始めていた。
今日の朝食の当番は、アーノルドとローワンだった。
アーノルドは子供たちの好きな食べ物がなにか必ず覚えていたりなにかと心遣いのある人物だ。今日の朝食の献立も彼らの好みに合わせたものになるだろう。
トーストを焼く。卵をフライパンに投げ入れかき混ぜる。ベーコンをのせる。ペッパーをふる。採れたてのレタスをちぎる。真っ赤に実ったトマトをきる。昨晩から煮込んでおいたスープを温める。
人数分の皿にのせ、彩りよく飾ればそこにはいかにもな朝食が並ぶ。
はずだったのだが、レシピ通りに一切の狂いもなく食事を用意するアーノルドの隣では非常に香ばしい香りが立ち込めていた。犯人は今日の相棒、ローワンである。
彼はあろうことか、大量のお肉を朝から焼き上げていたのである。鳥の照り焼きがこんがり、とても美味しそうだ。してやったり顔で得意げな顔をしているが朝からこんなに茶色いものを用意しても食べられる子は限られるだろうに。
アーノルドは怒られないといいな、と苦笑いを零す。
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全員が食卓に集った頃、プレートに盛られた優しそうな味の朝食の隣には茶色い照り焼きがこれでもかというほど自身を主張していた。それを用意した当の本人といえば、誇らしげな顔で隣のガルシェにこれはカバの肉だ、とほらをふいている。
ローワンはこういう明るさがいい所でもあり、悪い所でもあるのだ。現に、ローワンの向かいに座る長くて美しい金髪を三つ編みに結い上げた1人の少女は冷ややかな目で笑顔を彼に向けている。
「ちょっと、あなた達?フルーツは?色とりどりの野菜たちは?言っておくけど、朝一番に胃に入る朝食は美容に欠かせないのよ!こんなもの食事とも言えないわよ」
ぷんぷんどころか、めらめらと後ろで炎が燃え上がっているのを感じる。彼女の正面に座っているローワンは先程とは打って変わって冷や汗がその顔に伺える。
「なんとか言ったらどうなのよ」
じとりとした目でリンダがローワンを睨む。
蛇に睨まれたカエルとはこのことか、とフロイドが呆れ顔でお肉を口に運んでいる。
「わぁ!たまには朝からお肉もいいね」
マイペースにも燃え上がるリンダの言葉を遮ったのはペルセイだった。どうやら、朝のお肉がお気に召したらしい。呆気とられたリンダの向かいではニヤリとすました笑顔のローワンがいた。
「美味しいね、お兄ちゃん!」
笑顔で隣のアーノルドにミアがはみかむ。口にいっぱいにパンを頬張っている彼女のそんな姿が愛らしい。パンくずがついているよ、と口元を拭ってやれば、ありがとうとまたはにかんだ笑顔をゆるりと見せてくれる。
「うん、とっても美味しいよ」
みんなと食べる食事が大好きなんだと、ミアにつられたようにアーノルドの頬も緩まる。
彼らのやりとりに静かに笑って、楽しそうに見つめる彼女の存在が薄れていくことは未だなかった。だが、確かに美味しそうに食事を頬張る子供たちの顔は心から幸せそうだった。
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食器たちの片付けが終わった頃、濡れた手を拭きながらアーノルドが最後に席に着く。子供たちは、食後の時間を楽しむ間もなく昨日の探索の報告を行うために集まっていた。
「さて、それじゃあめぼしい物でも見つけた人はいないかしら」
今日の議長を行うのはセレーネ。いや、これに関して言えば毎度のことだろうか。ぐるりと子供たちを見渡せば、それぞれが思い思いに昨日のことを思い返す。
彼らが目にしたのは教会の中に蔓延るシスターとの思い出だった。彼女を恋しく想う気持ちが高まるだけで犯人に差し迫るような収穫がなかなか見込めなかったのだ。
「そういえば、事件と関係あるかは分からないけど庭で........。」
「その........。」
「........白骨化もしていない動物の死体が埋められていたんだ。」
両の手を握りしめるようにしてうつむきながらアーノルドが恐る恐る声を出す。
その状況を思い返したのか彼の顔は青白い。相当、衝撃的な光景が彼の前に広がっていたのだろう。
その報告を聞くだけで背中がすっと凍るのをガルシェは感じて顔を歪ませている。動物を殺す、なんて。
「動物の死体?随分、猟奇的だぜ。」
やれやれ、といった口調でローワンが返事をする。
「仮に、例のシスター殺しの犯人の仕業だとするなら、日頃から殺害衝動に駆られていた。ということになるね」
冷静に報告の推理をペルセイが行う。
「まぁ、犯人の仕業とは限らないけれど」
彼の考察はほぼほぼ正しかった。
確かに、庭の白骨化していない死体が犯人がやったものと決めつけることは現段階では厳しい。しかし、犯人は猟奇的な人物であり日頃から殺害に興味があったと裏付けるには十分な発見にも思えた。
「貴方にしてはいい発見をしたじゃない。」
先程から顔を青白くさせているアーノルドにツンとした態度でリンダが言った。その言葉自体は偉そうでぶっきらぼうに見えるが、長年付き添っていたアーノルドからすれば彼女なりの優しさで、励ましの言葉だということは分かっていた。アーノルドはありがとう、と柔らかい笑みをみせる。
様子を見て、セレーネがまた次の報告を求める。
「それじゃあ、他には何かないかしら?」
「物置小屋で、不自然なものがあった」
声をあげたのは、卑屈な紫髪の彼だった。
「昔からシスターが愛用していたティーカップが物置小屋にあった。シスターがそこに置いた、というよりも他の人が隠したという方が妥当な印象だったね。まぁ、こんな些細なこと報告するまでも無いかもしれないけど」
最後に余計な一言を加えるのは彼の癖のようなものだ。その眉間にはシワがよせられていた。
「そういえば、前にシスターがティーカップがないと言っていたわ」
フロイドの話を聞いてふと思い出したイザベラが小さく透き通るような声を発した。
「物がなくなったたといえば、私もいくつかなくなったものがあるわよ」
「うーん、僕もいくつか覚えがあるかもしれない」
ペルセイはともかく、しっかり者のセレーネが物を失くすようなことは滅多にない。それは、シスターもしかりだ。まして、彼女はあのティーカップがかなりお気に入りでよくみんなの前でも磨いていた。そんな物を失くすだろうか?
「誰かさんが盗んだとか?」
ミアがぽつんと呟いた言葉に、子供たちは穴にはまる何かがあったように共感した。
確かに、それらのことは盗まれ隠されたと言った方がしっくりくる部分がある。セレーネやペルセイのように最近私物がよくなくなる事件があったのでそれもきっとこれに関係しているのだろう。
「それも犯人の仕業だとするなら、犯人は随分ひねくれた人に違いないわね」
セレーネはうんうんと頷きながら1人状況を整理するように言う。
ここまで教会内に蔓延るおかしな状況を述べ整理すれば、犯人はやはり教会内の中にいるのではないかと子供たちはどこか確信していた。自分たちの中に。
不自然なことがあまりにも多すぎるからだ。外部の人間の可能性というのは、やはりないように思える。
「あまりこれは聞きたいことではなかったけれど、シスターが殺されたあの日の前、それぞれが何をしていたか確認した方が良さそうね」
みんなのアリバイを直ぐに聞かなかったのは、この中に犯人がいると疑いたくないと思っていたから。ただ、この状況を垣間見て遂にセレーネが口を開いた。彼女の表情は暗い。
本心からこの中に犯人がいるなんて、彼女も望んではいないが仕方のないことだった。誰も彼も、現実を知らされる事を恐れていた。
彼らにとって、いわば家族のようなみんなを疑うその労力は、計り知れないほどである。辛いと泣きわめくだけなら誰でも出来る、そうしなかったのは隣で手を取り合っていける存在がいたからだ。
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「ミアちゃんは、シスターにおやすみなさいの挨拶が済んだら、イザベラちゃんと一緒にお部屋でお絵描きしていたよ」
「私も、ミアお姉ちゃんと一緒にずっと居たわ。あの子たちの声を聞かせてあげられたら証明になるのに」
「僕がシスターに最後に会ったのは夕食前だったなぁ。ほら、その日は星が綺麗だったから暗くなったら外でひとり星を見に行っていたんだ。深夜になる前には部屋に戻ったよ」
「私は夕食後、ずっと部屋で髪を整えたり香油を試したりしていたけれど。シスターに会ったのは、寝る前にホットミルクを入れに行った時かしら。丁度シスターが部屋に戻るところでお休みの挨拶をすましたわ。」
「俺は、その日は食器の片付け当番だったからキッチンに居たよ。テーブルクロスに着いた汚れがなかなか落ちなくて........。部屋に戻る前にリンダに会ったなぁ。」
「私は夕食が終わったら、外に散歩に出かけていたわ。ペルセイが外で天体観測していたのなら遠目に見かけたわよ。部屋に戻ったのは遅かったわね。時計が12時を回る頃かしら」
「俺は途中までセレーネちゃんと一緒に散歩していたんだけど、セレーネちゃんより先に部屋に戻ったよ。少し疲れたから。部屋に戻りかけた時にシスターと会って少し会話をしてから別れたよ。その後はずっと、部屋に居た」
「オレは、夕食の後はすぐ家畜小屋に行ったぜ。少し眠くなってウトウトしてたらいつの間にか寝てたみたいで気づけば夜だったから急いで部屋に戻ったな。その時は誰にも会わなかったし慌ててて、何時かもよく覚えてないぜ」
「俺はずっと部屋にいて本を読んでた。シスターには夕食後1回も会っていない。あと、ローワンなら部屋に戻ったのは11時頃だったはずだね。ケモノ臭かったかよく覚えてるんだ。」
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一人一人の行動を確認したあと、子供たちは
誰一人言葉を発することが出来なかった。
この時に、聡明な者であればその違和感や根拠の有無などを問答していたかもしれない。ただ、彼らは出来なかったのだ。
例えば姉妹が口裏を合わせているだけで本当は部屋の外にいた可能性は。
例えばペルセイが人目を盗んでシスターの部屋に外から入り込んだ可能性は。
例えばリンダが部屋に戻る際に本当はシスターと出会っていなかった可能性は。
例えばアーノルドがずっとキッチンにいなかった可能性は。
例えばセレーネがガルシェと別れた後にシスターの部屋にいった可能性は。
例えばガルシェが本当はシスターと会話をしていなかった可能性は。
例えばローワンが居眠りをこいていなかった可能性は。
例えばフロイドが1度でも部屋の外にでた可能性は。
それを声に出して、糾弾しよう者はこの中には誰もいなかった。今の発言は口裏を合わせたものかもしれないし、嘘八百を並べたものかもしれない。
それを確かめることは大切な家族を少しでも疑いをもって接してしまうことになる。それを彼らは恐れたのだ。この状況になり、犯人の存在にまた違った意味で恐怖を覚え始める。誰もが怪しい気がした、でも誰も疑うことなんてしたくなかった。
「みんなの話が本当なら、そうね。やっぱりこの中に犯人なんて........」
そう呟き声が小さな声で聞こえる中、はっと何か大切なことを思い出したかのようにあ!と大きな声をペルセイがだした。
突然の声に隣のミアが肩をびくつかせる。
「そういえば、礼拝堂の奥の懺悔室に行こうと思ったんだ。でも、鍵がかかっていて中には入れなくて........」
「何か、心当たりのある人はいる?あそこはシスターしか出入りが許されて居なかったから鍵の管理もシスターがしていたし」
この教会中を全員で探索しても、それらしきものは無かったが改めて探す価値はあるだろう。
シスターしか入ることが許されなかった懺悔室。未だ唯一、調べることが出来ていない場所。
そして彼女が亡くなっていた礼拝堂に最も近い場所だ。
「それじゃあ、今日の作業にはその鍵探しも含まれそうね。」
「わー!宝探しみたい!ローワンお兄ちゃん、どっちが先に見つけられるか勝負だよー」
「ミアぐんそうが、オレに勝てることはないと思うけどな!」
____________
じわりと冷や汗が頬をつたう。
ついにバレてしまったか、と手を強く握り締める。
幻滅されるかもしれないと思って、真実を口に出すのを躊躇した。
ジッと見つめるのはあの子のこと。
どうか........。
……。
いや……。
【探索開始】
2日目 昼
セレーネは礼拝堂へと繋がる渡り廊下を歩いた。古びたタイルは割れ、隙間からは苔が生えてきている。随分とここの建物が古い事を感じた。ここもいずれは腐り落ちてなくなってしまうのでは無いかと考えると、怖くなった。
ミア・リッピンコットは立ち止まった。
ふと、窓の外をみれば雨がバシャバシャと音をたてている。は!と1人大きな声をあげて走り出す。
「洗濯物がそのままだよ〜」
慌てて回収しに行ったところミアの服が濡れてしまっている。ひとまず暖炉で温まることにした。
イザベラ・リッピンコットはガブリエル部屋にきた。簡易的な望遠鏡と、星の名前がギッチリ刻まれた星座表は、ペルセイお手製のものだろう。
「リボン座なんてあるのね、可愛いわ」
くすくすとイザベラは星座表を手にとってみた。
イザベラは部屋を後にした。
アーノルドはガブリエル部屋にきた。簡易的な望遠鏡と、星の名前がギッチリ刻まれた星座表は、ペルセイお手製のものだろう。
「すごいなぁ、ペルセイは。俺はこんなもの絶対に作れないや」
感心したようにうんうんと唸ってアーノルドが星座表を手にとって呟いた。
アーノルドは部屋を後にした。
ローワンは食堂の小さな机を見た。お花が飾られている。昨日に比べて少し萎びていたのが気になったので、手で水をすくって与えた。
「本当に花が好きだったあの人はもういないのに」
こんな物もう誰が気にするのだろうか。すっと目を細めて元気のない花を見つめた。
ローワンは食堂を後にした。
ペルセイは書庫にきた。今日はしとしとと雨音がよく響く。これは昔よくシスターが読んでくれた絵本だ。シスターの声を聞くと安心するんだ。もう二度と聞けなくなってしまったこと、今でも酷く信じ難い。このキラキラした思い出だけはくたびれることはないと信じよう。
フロイドはウリエル部屋にきた。綺麗に整頓された部屋だ。掃除も徹底されているようで、汚れた部分は見当たらない。 無駄な物があまりない部屋に、シーツの上にある鳥籠が少し異様に感じた。
つまらない部屋だ、とフロイドはそれを一瞥して部屋を後にした。
ガルシェはシスターの部屋を見渡した。聖書が置いてある。シスターは神にすべてを捧げていたんだ。なのに、なぜ神はシスターを救ってくださらなかったんだろう。
ガルシェは立ち止まった。
ふと、聖書を手に取ってパラパラとめくればここに来てシスターから教えてもらった決まり事なんかについて難しい言葉で書かれている。
聖書を最後のページまでめくり終わり部屋をもう一度見渡した。
シスターの匂いで満たされたこの部屋に、眠れない夜にこっそりとノックを叩いたことがあった。思い返せば、酷く喪失感に襲われて持っていた聖書を床に落としてしまう。
それを拾い上げようと屈んだ瞬間に、きらりとしたものが目に入る。
これは鍵だ。
【イベント発生】
ガチャリ
古びた木製の扉に鍵を差し込んだ。調子の良い音を立て、扉が開く。
「ここの鍵で合っていたみたいだね」
「よく見つけたわ、ガルシェ」
セレーネがガルシェの頭をポンポンと撫でる。
1センチしか違わないはずだが、彼女にとってガルシェはいつまでも弟分のようなものなのだろう。
懺悔室の扉が開いた。
_________
中央には椅子がひとつ置かれている。その向かいには壁があり、声だけが届くように格子状の小窓が付けられている。その壁際にはまた、扉がある。こちらには鍵が掛けられていないようだ。
礼拝堂のつくりも荘厳で芸術を感じさせられるが、こちらの懺悔室もそう変わりない。中には光が指す場所がなくまだ昼間だと言うのに薄暗い。
「シスターがよく出入りしていただけあって、掃除は行き届いているみたいね。埃臭いかと思ったけどそうでも無いわ」
リンダが拍子抜けしたようにほっとして呟いた。確かに、シスターが定期的に掃除までしていたようで中は綺麗だ。
「特に違和感があるようにも思えないが、ここはどうして立ち入り禁止だったんだい?」
そう尋ねるガルシェは、教会にやってきて礼拝堂を案内された時にちらりと紹介されただけでこの懺悔室について詳しく知らなかった。
「シスターは、神様に懺悔することなんて俺達にはないから入る必要はないんだって言っていたけど。さぁ、実際はどうだったか。」
聖痕を授かりし神の子である子供たちにとって、懺悔室とは無縁なものだろう。彼らは懺悔するような罪などないのだから。
ただ、それならばどうしてこの教会に懺悔室があるのか。という疑問が浮かぶ。
「懺悔室には悪いことをした子が入れられてずっと出して貰えないって小さい頃には聞いたことがあるなぁ。実際に入れられたような子は見たことがなかったけど」
ローワンがふと小さい頃に年長の子供から怖がらされ、散々聞かされたことを思い出す。
あの時は恐ろしく思っていたが、時間が経てばその恐怖も薄れるものだ。
「僕達もよく知らないなぁ。ただ、シスターは本当によくここに出入りしていたよ。」
「一度だけ懺悔室に入ったシスターの声なら聞いたことあるよ。あまりよく聞こえなかったけど確かにシスターは何かに謝っていたな........」
懺悔室でシスターが神に謝罪をこうようなことがあるだろうか。シスターが本当にこの中で何をしていたのか、ここを調べれば様子が少しでも分かるだろうか。
そう思って、子供たちは奥の扉を開く。そこには応答者の椅子が一脚置かれている。特にこれと言って違和感があるようなものは無い。至って一般的な懺悔室のつくりである。花瓶に入れられた花は枯れていた。
ただ、不思議ともう少し、もう少しだけここを調べようと思った。
ここには何かある気がした。
何故かは分からない確信があった。
何度も何度も味わったよう心の底を何か透明なレンズで見透かされているようで気色が悪い。
「ここは暗いね。今、ろう台を持ってくるよ」
そう言って、ガルシェが扉を抜け渡り廊下を戻っていく。
ここは灯りが必要だ。
何故かそう思う。
昼間なのにマッチを持ってくるなんて、くすくすと双子が笑い合っていた。
【探索開始】
懺悔室
セレーネはじっと中を見た。古びた椅子は木造で、随分年季が入っているように感じた。ここに訪れる人なんて、いるはずもないのに何故鍵をかけていたのかしら?
ミア・リッピンコットは鼻をつまんだ。ツーンとしたかび臭いが鼻を通った。もうこれ以上何かがあるように、感じられなかった。
ガルシェはぐるりと中を眺めた。特にこれといって変わった様子はないように感じた。
イザベラ・リッピンコットはぐるりと中を眺めた。特にこれといって変わった様子はないように感じた。
ローワンは何か嫌な物を感じたので、極力中を除きたくなかった。
アーノルドはじっと中を見た。古びた椅子は木造で、随分年季が入っているように感じた。ここに訪れる人なんて、いるはずもないのに何故鍵をかけていたのだろう?
ペルセイはじっと中を見た。古びた椅子は木造で、随分年季が入っているように感じた。ここに訪れる人なんて、いるはずもないのに何故鍵をかけていたのだろう?
リンダは目を凝らして見ると、椅子の下にある小さな窪みの様なものがあった。灯りをかざしてみると、そこに取手がある事に気づいた。
小さなドアの様なものを開けてみると長い暗闇に繋がる梯子があった。子供達と"細身の女性"でなければ入る事は難しいだろう。中まで灯りを当ててみると、下に通路があるように見える。
「地下に続いている入り口……?」
仕掛け扉のように地下へと繋がる階段がそこにはあった。
礼拝堂には地下室があった、その事実に全員が目を開き驚いている。
シスターはここの存在を知っていたのか。
それならシスターはこの先で何をしていたのか。
僕達は蟻地獄に陥った蟻のようだった。ここから先出ることが出来ない、ずるずると底なしの闇に引き込まれていくような感覚がする。このまま何処までも。
分からない事だらけで、困惑し今すぐにでもベッドの暖かな毛布に包まれたい。シスターが夕食の用意をする音が聞こえてくるからその匂いで起きよう。お昼寝なんて贅沢ね、とくすくす笑う彼女を寝癖のついたクシャクシャな髪を手櫛で整えながらおはようと挨拶するんだ。
なんて現実逃避をして今すぐここから逃げ出してしまおうか。
_______
「そんな顔するなよ」
「大丈夫さ、心配することなんて1つもないに決まってる」
隣で途方のない現実に青ざめていくリンダの頭をローワンがグシャグシャと掻き回した。やめてよ、髪が崩れるじゃない。
いつもの彼女ならそう言って彼に文句を付けていただろう。そんな事さえ雑然とした感情に飲み込まれ口が動かなかった。ただ、その優しい言葉にほっと安心する。
「あぁ、何だって........」
頭を抱えたフロイドが、この先で待ちわびているであろう何かに怯えていた。確かにこの先に解決の兆しが見えるような確信があった。ただ、一抹の恐怖が拭いきれないのだ。
大丈夫、そう言い聞かせた。そうしないとこの階段を降りることはきっと難しい。
「ミアお姉ちゃん........」
ぎゅっと、イザベラがミアの手を握る。2人の手は震えていた。フリルがあしらわれた真っ白なワンピースが暗闇に飲み込まれていきそうだった。
「離れないで一緒に行こう」
2人を守るように小さな背中を彼女たちに向けるのはガルシェだった。
ろう台をもった彼の手もカタカタと微かに震えているのに。彼が自分から彼女達の前に立ったのは、ガルシェらしくない行動にも思える。ただ、それは彼の優しさからくるものでこの状況で自分より小さな子を守ろうと思ったからだろう。
「セレネ、大丈夫?」
彼の真っ白に美しい片目は何も移さない、そのもう片方の目でとらえたストロベリーブロンドの彼女を心配して声をかけた。
「........大丈夫よ」
長い髪に隠れた彼女の表情は読めない。片目だけの彼に写るのは小さな視界の世界だけだ。手を差し出そうか悩んだ内に、そっと彼女が階段をおりだしていく。
それに続くように石畳の階段をカツカツと靴の音が響き渡る。
暗い足元をろう台が照らしていた。
先程ろう台持ってきたのは正解だった。
そう思った。
next……
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