episode.1「愛しのグランギニョール」
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教会の朝は早く安息日の日曜は日頃お世話になっているシスターへのお礼にと、朝食の用意は子供たちがする。これは、教会で1番の古株であるセレーネですらいつから始まったか知らない決まり事でもあった。

朝の木漏れ日がキッチンに漏れ出てやたらと爽快な朝だった。

今日の当番は、セレーネとガルシェ。
キッチンには、当番の2人と目が覚めたのだとやけに眠たそうなローワンの3人が居た。

同室である彼ら2人の仲は良好で相性がいいようだ。教会内では新入りであるガルシェに料理たるかは何かを偉そうに豪語する彼女ではあるが口で言うほど料理の腕前は上手くない。いや、むしろ下手かもしれない。

彼女の世界一高い山よりも高いであろうプライドを傷つけまいと誰も直接的に伝えはしないが教会内では周知の事実である。なので、彼女がこうして当番の時は年長組である誰かが優しくフォローを施すというのもまた教会の決まり事であった。

「そうね、今日はフレンチトーストなんてどう?」
「フレンチトースト……?うん、美味そうだね」
こうして、朝食のメニューがフレンチトーストに決まりかける。

ガルシェは軍での食生活が随分なものだったようでこの教会に来てから新しい食べ物を食べるたびに目を丸くして喜んでいる。彼のそんな様子を微笑ましく思って最近の食事はいつもよりこころなしか豪奢だ。

この2人のクッキングを微笑ましく見守りたいところではあるが、彼女たちにフレンチトーストを無事に完成させることができるとは到底思えない。


そこで、今日のみんなの救世主様であるローワンは眠たそうに目を擦りながらやんわりとフレンチトーストはやめた方がいいと諭す。
「でもさー昨日ミアとイザベラがイチゴのジャムをたっぷり塗ったトーストと半熟卵がとろっとろの目玉焼きが食べたーいって言ってたぜ?」
もちろん嘘である。

が、セレーネは双子に甘いので双子が食べたいといっていたのであれば今日の朝ごはんは難易度が下がった分食べられる範囲のものが出来上がるだろう。

ローワンはみんな俺に感謝すべきだ、と当番でもないのに朝早くからたまたま早起きをしたのだと言ってキッチンに2人から疑われることなくキッチンに居座っていた。

料理が完成される頃には同室のフロイドも、他のみんなも、大好きなシスターも食卓に集まってくるだろう。

「シスター遅いね」

いつもならせっかくシスターの為に早起きしてるんだからもっとゆっくり寝ていてもいいのに、と結局他のみんなより早く起きるシスターに文句をたれ込むのがまた安息日の習慣であったのに。

今日はさすがのシスターも寝坊かな?フォークを片手に朝ごはんが待ちきれない様子でミアが言う。

「でも、このままじゃせっかく作った朝ごはんも冷めてしまうわよ。誰かシスターの部屋に行ってみて頂戴」
相変わらず偉そうに人に指示を出すのは仕切り屋のセレーネ。

そんな態度に文句をつけることなく物腰柔らかなアーノルドが俺が行くねと立ち上がる。その後をミアが私も!と、ついて行く。そうするとイザベラも当然のように立ち上がり私もとついていく。まったく、ミカエル部屋の三人衆は仲がいい。
「たいへん!たいへん!みんな聞いて!」
「シスターは部屋に居なかったわ」
「きちんと部屋の中も覗いたんだけど……ごめんね」
数分たって戻ってきた3人組の話を聞けばシスターは部屋に居なかったらしい。

このままじゃ料理が冷めてしまうじゃないかと隣で癇癪を起こしかけているセレーネをアーノルドがまぁまぁと宥める。

ミアはかくれんぼかななんて楽しそうにしてイザベラに引っ付いているし、フロイドは騒ぐ姉妹を煩わしそうに不機嫌に見つめる。

リンダは朝からペルセイの寝癖が気になって仕方がない様子だ。ローワンに至っては早起きしたせいか目を瞑りかけている。


「じゃあシスターはどこにいるんだ?」
と唯一シスターを心配した様子でガルシェが言う。

「うーん、もしかしたら朝のお祈りかな?」
シスターは、毎日のお祈りを欠かさない。日が昇り始める頃から教会の中で祈りを捧げているというのも少なくない。天然な彼だが的を得たような発言をするのはペルセイだった。

それから行動にうつるはやさはあれど遅刻したシスターを迎えに行くために今度はみんなで渡り廊下の先のある礼拝堂へと歩いた。

__________


やけに静かな朝だった。穏やかで雲ひとつない。

雲がない日は悪いことをすればお空から神様に見つかりやすいのだと、シスターにいたずらが見つかった時に言われたなぁ、なんて。

朝食を食べ終わったら今日は天気がいいからシスターとお外に真っ白なシーツを干そう、なんて。

安息日をシスターと過ごすのが大好きだ、なんて。また次の日は、なんて。

___________

礼拝堂のドアは古くて開く際には、ギギィと声を上げる。1番初めに駆けつけた彼女のストロベリーブロンドが揺れていた。

ようやく慣れ親しんできたこの渡り廊下を歩くあの子も、遅い遅いと彼を引っ張るあの子たちも、手を引っ張られ足取りをはやませるあの子も

眠い身体を引っ張って口笛を吹いて歩くあの子も、朝の新鮮な空気ににこにこと微笑み歩くあの子も、くるくると駆け回るように後ろからやって来たあの子も、不服そうにぶつぶつと文句を言いながら重い足を引きずる1番後ろのあの子も。

何も可笑しいところがない、いつもの光景だ。

ステンドグラスが朝日に照らされてきらきらと輝いて厳格な石畳のタイルが出迎える、いつもシスターとお祈りを捧げる見慣れた礼拝堂だ。

ただ1つだけ、うさぎを追いかけた先にあべこべな不思議の国が広がっているそんな不愉快な違和感の正体が中央に鎮座していて、そこから離れようとしない。いや、離れられない。それは既に糸の切れたマリオネットだ。そこからもう二度と誰かの手引き無しには動くことができないだろう。

今日の安息日は彼女にとって永遠の安息になった。

「きゃああああああッッッ!!!!!!!」
シスターが死んでいると、小さな女の子の叫び声が木霊した。

________

<食堂>

先程まで甘いパンの香りが立ち込めていた食堂には、乾いてしまったパンが片付けられ時計のカチカチとした音が響いている。

「確かにシスターは息を引き取っていた。身体もとても冷たくて随分時間がたっているように見えた」
全員が戦き誰も動けない中、1人だけソレをたしかな手探りで相応の対処を真っ先に行ったのはガルシェだった。

かつて少年兵であった彼があの中で1番ソレに慣れていたから。

彼は自分が見たことをそのまま、食卓に移動して顔を真っ青にしている彼らに伝える。黙ったままの彼らにガルシェが続ける。

「教会の北の庭に穴を掘ってきた、そこにシスターを……」
ソレの最後の処理を告げる。

「どうして?シスターをどこに連れていくの」
「酷いよ、おにいちゃん」
現実を受け止め切れないのはみんな同じだった。しかし、僅か12歳のイザベラとミアにとって直面した“死”とはどれほどの衝撃を与えたのか。それも彼女たちが敬愛する彼女の死だと、どうして神様はこうも無慈悲なのか。

2人にどう声をかけたらいいかわかる人なんてここには誰もいなかった。

「シスターは……。シスターは一体どうして死んだの?死因はなに?」
姉妹の頭を撫でながらそう尋ねるリンダはこんな時でも面倒みのよい教会のお姉さんだ。ただその声音と表情にはいつも気の強い彼女から感じられる覇気のようなものはなく弱々しさがうつる。

「胸部にナイフが突き刺さっていて、床には血が広がっていた。それが死因で間違いないと思う……。」

ガルシェが下を向き俯きながら恐る恐る声を絞り出した。
その時のことを皆が頭に甦る、さながら十字架が突き刺さったかのように彼女は倒れ死んでいた。その顔は僅かに笑顔だったようにも見えたのだ。

答えをきいたリンダの顔はさらに青くなる。
死因だけじゃない、疑問は数えられないほどあった。

何故だと糾弾することは簡単で、理不尽だと泣き喚くことも簡単だった。ただ今は、そんな事さえも鬱陶しいと満たされない胸の痛みに耐えるのに必死だったのだ。

そう、とリンダが静かに呟く。

「……」

「やっぱり。シスターは誰かに殺されたんだ」

はっきりとした声と乾いた笑いが食堂に響いた。引きつったように自嘲気味に笑うのはフロイド。

この場の誰しもがその言葉に顔を顰める。その言葉が意味することはただ1つだ。外部からの接触が一切ないこの場所で間違いでもそんな事件が起きれば。

「貴方まさか、私たちの中に犯人がいるとでも言いたいの?」
セレネが眉を寄せ低い声でフロイドに言い放つ。

残酷な言葉だった。残酷な現実だった。シスターを殺した人間がこの中にいるかもしれないということくらい子供たちは分かっていた。

シスターの死があまりにも不審すぎるからだ。

それでも、誰もがその言葉を口にすることを躊躇ったのは、大好きな兄弟たちの中に犯人がいると疑わなくてはならないから。

「まさか君はシスターが自分で自分にナイフを突き刺したとでも言いたいの?あぁ、そんなの違うよな。シスターは俺たちを置き去りにして行ったりしない。この中に凶悪な殺人鬼様でもいない限り。馬鹿みたいだと思わないか今頃心の奥底で笑いを堪えてる奴がこの中にいるんだから。」

「信じられない、なんてこと言うの!?貴方みたいな捻くれ者が居るから……!!みんな怯えているのがどうして分からないの!?」
彼の言葉に痛いほど顔を歪めてセレネが金切り声を上げる。

2人の言葉が積み重なればなるほどこの場の空気がどんどん重く沈んでいく。

どうして悲しい日に悲しい出来事が積み重なるのか、あんなにお祈りし続けたのに神様はなにもしてやくれない。無慈悲な仕打ちはまるで彼らに課せられた罰のようで何もかもに裏切られ絶望だけがそこには残されていた。

「もうやめようよ」


彼らの言い合いを止めたのはハニーブロンドの髪を揺らしていつも1歩後ろから腰を引かせていたはずのアーノルドだった。

「フロイドの言うことは正しいよ。シスターは死んだ、誰かの手によって……。」

そうでなくては可笑しいのだ、昨日の夜最後に見たシスターはいつもみたいに穏やかな笑みを浮かべ僕達に愛を囁いていた。何故彼女が自死を選ぶのだろうか。

はたまた、事故だろうか。偶然にもお祈りをしていた彼女の胸につきささるのか、否その可能性はとてもじゃないが低いだろう。フロイドが疑った他殺、ソレが今考えられるもののうち的確な判断であっただろう。

「アーニー!貴方までなんてこと言うのよ!」
信じられないと顔を歪めてセレーネがまた声をあげる。

「落ち着けよ、たしかに2人のいう殺人って可能性も無くはないだろ?まさかあのシスターが自殺するとも思えないからなぁ」
ローワンがケロリとした顔でセレーネの肩をぽんと叩く。彼が平然としているのは他の皆に心配をかけなようという彼の優しさか。それとも…...。

「でもそれも、今の状況だけ見ればの話だよ」
そう強く進言するアーノルドの目は一点を見据えていた。

「事故であるか、自殺であるか、それとも…...。決めつけるには情報が圧倒的に足りない。僕はここに居る誰かがシスターを殺す筈がないと分かってる、それを証明する為にもこのシスターの死を解明する必要があると思うんだ。」

血溜まりができたあの礼拝堂、シスターの胸に突き刺さった十字架のようなナイフ、僅かに微笑むようにして倒れ死んだシスター、そのどれもに痛いほどの恐怖を植え付けられた。彼らにとって、あの残状を調べることがどれほどの苦しみを伴うのだろうか。

「アーニーの言う通りだわ、ここでいくら話し合ったって仕方ないもの。」
先程まで双子を抱き寄せる手が震えていたリンダはアーノルドの言葉に安堵したのか今度は力強い声音で声を出した。

「いつだって事件は現場で起こっている!ってかの探偵もゆっていたしね」
おどけた調子のペルセイのその言葉に呆れ半分、笑みがこぼれる。

みんなと一緒なら大丈夫、そう強く安心した。

______

それから、ガルシェの一声でシスターの埋葬を行った。

教会の北にガルシェによって掘られた穴はいびつで、身体の大きさに合わせて掘られているだけだ。そこには墓標もない。

覚悟を決めたはずだったのに、彼女の身体に土が積もっていくのを眺めればぽろぽろと涙が流れ出す。

全員が手に円匙を手にし、慈しみと哀しみを、さながら調味料のごとく大きな穴に入れていく。

彼女の身体が土で見えなくなった頃、ミアとイザベラだけが土に埋まったままでは苦しいかもしれない、もぐらと友達になれるかもしれないなんて話していた。

その時は、手に着いた泥を拭うことも億劫で、気がつけば各々が寝所についていた。

その日の夜、まるで教会にくる前のあの日のように聖痕が熱く傷んでジリジリと私たちの体を蝕んだ。

愚かにも修道士の真似事なんてして彼女の死を安らかたれと願ったこと、あの感情を私たちは永遠に、永久に忘れることがないだろう。

この事件の真相を解明すること、そうすればきっと大切なものを無くして途方に暮れている私たちにも新たな何かが見つかる気がした。

ただ、明日が平凡にやってくることをこれほど憎んだ夜はきっと何度この先夜を過ごしても今日だけだ。そう思った。


________


「寝つけないの、仕方がないわね」

そう言ったシスターは先日教会に迎え入れたばかりのあの子のために寝間着を手縫いしていたところだった。

「それなら、子守唄を歌ってあげるわ」

特別よ、みんなには内緒ねって微笑んだシスターのこと。

主のいない部屋の前に立ったまま、そんな昔のことを思い出してしまってそこから動けなかった。

夢を見ているんだろう。きっと、とんでもない悪夢を見ているんだろう。

そうなら良かった。

ドロドロになった苺ジャムのような血がこびりついて手から落ちることはなかった。

next........




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