episode5.致死量の愛

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「愛で」と彼が私に語るなら私は彼に「愛では」と騙る。
とうに心は腐り弱りそして朽ち果て「それなら共に」と彼は言っただろうか。
もちろん、その手を振り落としたのは私だ。 
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喧騒が胸を刺した。
生徒会室に備え付けられた窓から見えるメインストリートには多くの生徒、そしてその数を上回る量の紙切れが舞っていた。ガラス1枚隔てたところで意味が無いと言うように外の生徒たちのざわめきがこちらにも届いている。
その紙切れはロプツォルゴ学院が誇る我が新聞サークルによって今朝顕になったばかりの事件について語られている。何処から嗅ぎつけたのか疑問に残るが、所詮学校という閉鎖的な社会で大きな話題は直ぐに転がって広まっていくのだ。それが例え、生徒の死という誰もが目を瞑りたくなるような悲惨なものであっても。その新聞は学院中にばら撒かれシド・キングストンの死は学院中に知られる運びとなった。その一面には大きく第2の被害者と書かれシスター殺害の時と同様に面白可笑しく考察がなされているようだ。
「……お祭り騒ぎだな」
マシューはガラス越しに地面の色を埋め尽くすようにしてごった返す生徒を睨みつけるようにして言った。
朝食の時間を終え朝一番の授業が始まるという時間帯。普段通りであれば講堂に立ち神学を語るはずのシスターが口を開き言葉にしたのはある生徒の悲報であった。本来授業が続くはずであったが、それから大人達はばたばたと処理に追われ、一般生徒達はその日1日を休講とされた。そして、夜まで生徒寮への立ち入りを禁止されることとなったのだ。
その後、マシューは一緒に授業をとっていたキャロルを連れ詳しい事情を確かめるために生徒寮へと足を運ぶこととなる。寮にいたシスター達から詳しい状況を受け終えた後、呆然とした頭で何とか生徒寮を後にしたが昼食の時間はとうに過ぎていた。マシューが味のしないスープをスプーンで何度も掬っていた頃、新聞サークルの人間が号外を叫びながら文字で埋められた1枚の紙切れを学院中にばら撒き始めた。そこには被害者であるシド・キングストンの胸元に銀のナイフが刺されていたことや、犯人は切り裂き魔なのかといった内容が書かれている。件のシスター殺害事件と全く酷似した状況に面白可笑しく犯人を予想するその新聞は多くの生徒の手に渡り、学院内には混乱の声が上がった。事態の収束を図るために何人かの生徒に協力してもらいながら号外新聞の回収を行っていたのだが既に手遅れといった状況で、やむを得ず生徒会室へと引き返すことにしたのであった。
新聞サークルの号外新聞にあるよう、彼の死因は事実であった。しかし、何故それを新聞サークルの生徒が知っているのか、マシューは眉を顰める。生徒寮への一般生徒の立ち入りは禁止され、聖痕者のみが立ち入れるようにシスター方によって管理されていた。いくら耳の早い新聞サークルの人間であってもシドの遺体に関して詳しい状況を把握するのは難しいだろう。誰かが口を零したのだろうか。その誰かによる生徒の不安を煽るような行動に憤りを感じざるを得ない。生徒会室には外とは反対に暫く沈黙が続いていた。時計の針だけがチクチクと音を立てる。
「おい!」
そこに突然扉にノックもなく乱暴にドアが開けられた。
「どういう事だ!説明しろ!」
左右に結い上げた牡丹色の髪の毛を揺らしながら大股で音を立てるようにして入ってきたのはエイダであった。その表情や声色は明らかに憤怒を含んでいる。
「オマエら、犯人を捕まえるだなんて口だけ言って結果がこのザマとはな!無能なイギリス人共め!」
ヅカヅカと生徒会室に足を踏み入れたエイダはその矛先をソファに腰掛けるキャロルへと向けた。キャロルの目の前にたどり着くとその胸倉を強く掴みあげ、エイダはキャロルを立たせ上げる。

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「初めにシドのこと見つけたのはアイツなんだってな。オマエらが駆けつけた時には呆然とシドの部屋に立ってたんだろ。シスターから聞いたよ」
いきなりやってきたエイダに襟を掴みあげられその勢いにキャロルは目を丸くしていたがエイダのその言葉に決まりを悪くしたようにその視線から目を逸らした。エイダの目はキャロルをじっと見上げたままだ。彼女よりも背丈の高いキャロルを先程よりもきつく睨みあげる。
「それなのにオマエらアイツにどうして此処にいるんだって質問攻めにしたんだって?」
エイダもシドの話を聞いて直ぐに寮に向かったのだろう。その際に部屋の周りにいるシスターたちに詳しい話を聞いたのだ。エイダが言ったことは間違っていない。直ぐに生徒寮に向かった時にはシドの部屋に変色しかけた血に塗れた部屋、微笑むように倒れ眠るシド、それを茫然と見つめたまま動かないトニーが居たのだ。その周りにはシスターたちが数人部屋の前に立ち竦んでいた。トニーが第1発見者なのだと確信したキャロルとマシューは顔を青くしたトニーを気遣うことも忘れその詳細を聞き出そうとした。質問にたどたどしく答えるトニー。その言葉は覚束ず酷く混乱していることは容易く予想出来た。途中、医務室在中のシスター数人とマルセルが現れ、そんな様子のトニーを無理矢理2人から引き剥がし彼を医務室へと連れていったのだ。エイダが彼らを責めるのも仕方の無い事だった。
「オマエらだって知ってるはずだ。……アイツら2人は親友なんだよ。その親友の、死んだ姿見てアイツがどんな思いでそこにいたと思ってるんだ!よくそんな言葉吐けたもんだな。人の心なんて持ってやしない」
つらつらと罵倒を述べるエイダに何も言い返すこともできず2人は苦虫を噛み潰したような表情を浮べた。
「……あの時は動転していて上手く気を配ることが出来なかった。本当に自分達が情けないよ。トニーには謝りに行かないと」
そうキャロルがエイダの榛色の瞳を見つめて言うと彼女も彼らの誠意を受け入れるかのように胸倉を掴み上げていた手を離した。しかし、その目は未だに彼を強く睨みつけている。
「……今は熱が出て医務室で寝てる。くれぐれも負担をかけるようなことはしてくれるなよ」
それを聞いたキャロルはマシューと顔を見合わせお互いに目を合わせた。まさか、熱が出るほどショックが大きかったとは。いや、それも当然のことだ。キャロルはもし自分の親友であるブレットが二度と目を覚ますことのない無惨な姿を見つけたら、と考え身震いをする。トニーには本当に申し訳ないことをしたと彼は瞳を暗くした。
それにしても、エイダがその話だけをしに生徒会室に乗り込んでくるとは思わなかった。彼女なりにトニーを思いやっての行動だったのだろう。犯人探しが間に合わず第2の被害者を生み出した自分たち、ひいてはイギリス人という人間への怒りが限界に達したのかもしれない。何にせよ、彼女が言葉にして叱ってくれることでキャロルとマシューも何処か救われたような気がした。これまでの事件には全く協力してくれる様子のない彼女だったが今度は違うかもしれない。
「言っておくが、熱を出したのは昨日アイツが池に落っこちたせいだからな……」
彼女の目は彼らを離すことなくじっと睨みあげていたが、そう口にした後に力なくため息をついた。なんと言っていいのか分からず、キャロルの乾いた笑いだけがそこに残る。
時計の針の音が響いた。
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時計の針の音だけが響くのは此処医務室も例外ではなかった。普段から病人が集まる場所であるため煩くするような場所ではないのだが、これは自身の気の持ちように関係するのだろうか。重い頭を自分の枕より幾分か高い枕に預けながらトニーは考えていた。視界の端には針をせっせと動かす時計が見える。彼がいなくなっても世界は進むのだと残酷に突きつけられたような気分がした。それがたいした世界でないにしても置いてけぼりになったようなそんな暗い気分だ。ふと、あの部屋にいた時は自分は存在しないのではないかと不安になったがそんなことは無いようだ。時計を見つめる自分が存在する限りそれは証明される。頭が重く痛かったが
眠って起きてしまうとそれも直ぐに良くなった。軽くなった頭は酷く冴えていて思い返そうとすれば直ぐにあの時の記憶が蘇る。そうして蘇った相棒の姿に何度も吐気を催しては寝るのを繰り返し、遂には何も考えることをやめて時計を眺めることにした。
「具合はどう?って聞くまでもないか。いつもはあんなにうるさいトニーがこんなに静かにしてるんだからね」
プライベートを保護するためベッドを囲うようにしてつけられたベージュ色のカーテンが音をたてながら開かれひょいとマルセルが顔を出した。トニーを心配するような口ぶりだったが、思った以上に軽く話しかける彼に毒気を抜かれる。それはそれで有難いのだが、彼がそれを意図して行っているのかは分からなかった。マルセルはどれどれとトニーの額に手をやったり、彼に水を差し出したりと甲斐甲斐しく世話をやる。
「だいぶ良くなったみたいだけど安静にしないとだめだからね」
まあ、暫くは釣りに出かける元気すら湧かないかもしれないけど。マルセルは言いかけた言葉を喉の奥にしまい込んだ。彼のちょっとした発熱はたいした問題では無いのでマルセルは特に心配はしていなかった。しかし、精神面での心配はある。いくら平常が明るい人間であっても大切な友人、親友とも呼べる程の人間の死を目の当たりにして平気でいられるのだろうか。人間はそこまで強い生き物だったか。大切な人間を失くした人間の悲しみとはどれほど大きなものなのか。マルセルはそれが測りかねないものだと知っている。そして、その償い方もわかった気でいる。そんなマルセルを横目にトニーはなるべく心配をかけないようにと強く頷いて笑ってみせた。
「俺は大丈夫、です!寝たら頭も軽くなったし、それより……」
そう言いかけたトニーの視線はマルセルの後ろに向けられた。その向こうにはトニーが横たわるベッドと同じものが並んでいる。そのベッドを囲った白いカーテンは閉じられているため、そのベッドは使用済みを意味していた。
「リュンの様子は……?」
彼の視線を辿るようにマルセルはその先を遮っている白いカーテンを見つめる。もちろんその先の光景はわからないが、先程から大きな物音もしないのできっと寝ているのだと考えたマルセルは曖昧に微笑んだ。
「熱があるわけじゃないんだ。シドくんの話を聞いてびっくりしちゃったんだろうね」
今朝シスター方から話を聞いてマルセルがシドの部屋へと向かった時、キャロルとマシューに声をかけられたトニーは顔を真っ白にさせ唇を震わせていた。その様子を見てすぐに2人から引き離し医務室へと無理矢理連れ込んだのだ。マルセルが医務室へトニー連れて戻った時、医務室にはリュンがいた。顔を真っ青にし腕を抱えるようにしてベッドに入っている。連れ添っていた医務室控えのシスターに話を聞くと彼女は教室でシドの一件を聞いてすぐ顔色を変え、ここに運ばれたのだと。それからマルセルがトニーの処置で一通りやらなくてはならないことを済ました後、彼女のベッドをそっと覗き込むと寝息を立てていた。自身の腕を握るようにしてじっと小さく丸まり浅く呼吸を繰り返しているのが分かる。それを確認したのは暫く前であったが未だに起きた気配がなく変わらず寝込んでいるだろう。
「……そう、すか」
そう聞いたトニーはマルセルと向かい合っていた身体を捻り天井に顔を向けた。口に出して聞いたことはなかったがシドはリュンのことが好きだったんじゃないかと思う。彼と彼女は同じ時期にこの学院にやって来た。そのせいか、2人にしか分からない他者との明確な枠引きがあったのだ。決してそれをトニーや、他の人間に悟られることはなかったが2人なりの関係がそこにはあったのかもしれない。かもしれないというのも、トニーはその事をシドに聞いたことは無かった。それをしなかったのは誰にでも話したくないことの一つや二つ持ち合わせているものだとトニーが平素考えているからだ。事実彼からリュンについて何か話されたことはなかったしきっと彼もトニーに話したいとは思っていたなかったと思う。そう考えて彼と過ごした日々をぼんやりと思い出す。それはどれもトニーにとって一抹の安寧であったが今となっては胸を締め付けるような苦しさを持った記憶だ。
段々と理性を取り戻した頭で未だ鮮明に、匂いまでを思い起こすことができる今朝の彼の姿を思い出した。あの時、何が起こっているのか理解すらできなかったが、白い天井を前にするとやけに頭がすっきりと冴え渡っている。彼は苦しんで死んだわけでは無いのだろう。彼のあの微笑みがそれを強く確信させた。例えばシドを見つけたの別の生徒であれば、そうは思わなかったかもしれない。無惨な状況に心を痛めただろう。これは親友の、トニーだからこそ気づけたことだ。間違いない。彼は、シドは、抵抗をしていない。あの死を、胸に刺さる銀製のナイフを自ら受け入れたのだ。誰が、彼をそうさせたのか疑問は残るが親友が無念の死を遂げたわけではないと分かれば少しは気分も晴れる。といっても、背中にじっとりとへばりついた汗は酷く不愉快で、トニーが最も嫌いなそれを彷彿とさせた。それら全てに対して思うところがあるのは相変わらず変わらなかった。
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「やあ。お話中失礼、ブラザー」
トニーとマルセルの前に突然顔を出し何処までも爽やかに芝居がかった挨拶をしたのはハロルドであった。思いがけない人物の登場に2人は少し目を丸くする。マルセルは1度驚いた素振りを見せるがすぐにハロルドの存在に少し顔を歪ませた。
「トニーさん、お体の調子はどうですか?心配してたんですよ。」
ハロルドの背中にすっぽりと姿を隠していて一瞬姿が見えなかったがその後ろからドロシーが現れトニーに駆け寄った。その顔には心配の色を浮かべ悲しそうに眉を八の字にしている。同じように横にいるマルセルにも顔を向けドロシーは彼にぺこりと挨拶をした。ドロシーにとってトニーとシドは同じ年の友人であるのだ。今は他人の心配をしているがトニーやリュンと同様に彼女も内心で酷く落ち込んでいることだろう。
「2人はどうしてここに?具合でも悪かったのかな?」
マルセルが主にハロルドに対して冷たく突き放すように問いかける。彼はそれを歯牙にもかけず鼻で笑い返した。
「いや彼の、いやシド・キングストンの遺体について詳しい状況はマルセルから報告を受けろとシスター様が仰ったのでね。詳細を聞きに来たのさ」

そうでもしなければ、こんな薬品臭いところ来たくもない。と彼は医務室を見渡すようにして冷たく笑った。彼は此処があまり好きではないらしい。
話を聞けばハロルドとドロシーも事件の現場に向かったが、既に遺体が回収され、ある程度片付けられていたそうだ。詳しい話を近くにいたシスターに聞こうとしたが、マルセルに伝えてあるのでそちらから聞くようにと伺い医務室にやってきたというのだ。
トニーはその話を聞き、マルセルが先程まで向かい合っていたであろう机に目を向けるとそこには何枚かの資料が丁寧に置かれている。紙には恐らく、シドの遺体の状況について詳しくまとめたものが書かれているのだろう。マルセルがそれを眺めて頭を抱えていたことを思い出す。
ハロルドの話を聞いてマルセルが納得したようにその資料を手に取った。
「あぁ、もちろん構わないよ。でも皆が集まった時にした方がいいんじゃないかと思っていたんだけど」
資料をヒラヒラと扱い彼は机に腰掛けた。何度も同じような説明をするくらいなら一度に済ましてしまいたいのだろう。マルセルは少し、いや大概面倒くさいことを嫌う。
それを聞いたハロルドはマルセルを見て相手を嘲り笑うかのように鼻先でふんと音を鳴らした。マルセルを煽るようなその目に彼も対抗心を燃やし何か口にしかけた所をハロルドが遮るようにして言った。
「いや、先に説明を望むよ。何せ早急に確かめたいことがあるからな……」
ハロルドは怪しく目を細め笑う。彼はその後いくつか言葉を続け、室内には重く苦しげな空気が漂い満ちていた。
「………………………」
淡褐色の双眸が人知れずぱちりと開かれる。
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「……随分綺麗に片付けられたのね」
調度の整ったテーブルランプ、クローゼットの装飾は細かく質の良さが見て取れる、テーブルクロスには刺繍が施され皺ひとつなく敷かれていた。生活感と清潔感が両立し、綺麗好きな人間が住んでいたことが分かる。ここはシド・キングストンの寮室だった。先程までシドの亡骸が横たわっていたというベッドはシーツが剥ぎ取られてマッドレスが剥き出しになっている。茶色く変色した血が真っ白なベッドを点々と染め上げていて、綺麗に整えられた部屋には不釣り合いだ。そして壁から天井にまで届くよう血飛沫の跡が目を引いた。その酷い有様にこの部屋を訪れたカタリナは息をのんだ。
「う、ゔぁじドぉぅ……ぅぅ……」
カタリナの横では顔から涙と鼻水をぐしょぐしょにしたブレットがベッドにしがみつくようにくぐもった嗚咽をあげていた。ブレットにとってシドは大事な友達であったのだ。温室で共に過ごした記憶の中で彼はブレットが連れ込んだ猫に囲まれ暖かな笑みを浮かべていた。
「ブローリー、折角シスターたちが綺麗にしてくれたんだモノ。アナタの鼻水で汚れるワ」
ラムダが部屋の扉付近で中に足を踏み入れることなくブレットに声をかける。しかし、ブレットにはその声が届いていないようでシドの名前を何度も呼び続けていた。
「ブレット先輩、鼻水がでてるわ。これを使って」

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セレスタインの頭文字が小さく刺繍されたハンカチで、ブレットの鼻を拭いディオネがそう言った。ちーんするのよ、とディオネが年上の世話をする様子にカタリナは思わず呆れたようにため息をこぼす。そのディオネの横にはテティスが部屋を見回すようにして立っていた。
「部屋の様子の事ですが、シスター方はご遺体の回収をしただけでそのままの状態だそうですよ。」
そう言ったテティスの言葉にカタリナはふむと顎に手をやり何かを考えるような仕草をする。この部屋が綺麗な状態なのはシスター達が掃除でもしたのかと考えたがそうでは無いらしい。
「部屋が綺麗ということは特に争った形跡はないということになりますわね」
先日、全員で学院の寮を探索した時怪しい人影について、その犯人は切り裂き魔なのではないかと誰かがその存在を明かしたことを思い出す。今回のシドの件も切り裂き魔の仕業だと仮定するとシドと争った形跡が見られないのは不可解だ。幾つか疑問に残る点をカタリナは思慮し天井にまで飛び散った血の跡を追うようにして眺めた。
5人は皆、事件についてシスターから話を聞いてこの場にやってきた。ここについた頃には既に遺体が回収され部屋には生々しい血の跡だけが残されていたのである。
学院内には新聞サークルの生徒によってばらまかれた号外新聞のせいか生徒の多くは混乱を窮めている。生徒寮への立ち入りは禁止され、一般生徒が入れないようにしているが号外新聞にはシドの死に際について書かれていた。寮への立ち入りを許されているのは何人かのシスターと聖痕者だけだと聞いているが誰がこのことを新聞サークルの人間に話したのだろうか。そのせいで生徒会がその対処に追われていたことをぼんやりとカタリナが思い返す。
「彼の冥福を祈りましょう。父と子の精霊の御名において……」
呆然と立ち尽くしただ悲しげにその部屋の様子を見つめていたところ、テティスが口を開いた。そう言ったあと彼は深く目を瞑りその手をきつく結んだ。口元に一線を結び死者の鎮魂を願う。その横でディオネも彼の真似をするように目を閉じ祈りを捧げた。

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その姿は生き写しの人形のようだ。それに続けるようにカタリナも手をきつく結び、長く祈りを続ける。彼女の瞼が僅かに揺れた。その姿は彼等が厳正な神の信徒であることを示していた。殊更信仰心の薄いブレットはそれを下から不思議そうにぼうっと眺めて固まっている。その光景は何処か懐かしさを感じさせ、胸の奥を焦がすようにじくりと痛んだ。不快感とまでいかない、じれったいようなこそばゆいような。そんな感覚だった。
一体、その魂は何処に行くというのか。その祈りは届くのだろうか。
肩先まで伸びた毛先を左右に揺らしながら彼はゆっくりと立ち上がる。淡い藤色の瞳はブレットと同じように祈りを捧げずにじっと3人を見つめたまま動かないラムダに向けられていた。
「1番初めに彼を見つけたのはバルフさん、でしたよね。今は医務室に運ばれたそうですが1度話を聞いてみましょうか」
お祈りを終え、テティスはシドを殺害した犯人を見つけるべく冷静に物事を考えている様子だ。ディオネはいつも通りそう諭したテティスを褒め称える言葉を並べる。まるっきりふたりの世界だ。カタリナはそれに賛成し部屋を後にして医務室に向かおうと彼に続いた。
「医務室は嫌いだワ」
ね、ブローリー。とラムダはブレットに顔を向け薄く口角をあげた。先程までラムダのことを見つめていたのが気に入らなかったのだろうか。ブレットは彼女から顔を背けた。誰かが必死に内緒にしていたものを盗み見てしまって決まりの悪いとき、例えばそんな気分だ。申し訳なさと少しの羞恥がブレットの胸を染める。ブレットには何が何だか分からなかった。
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マシューとキャロルと、エイダの3人は医務室に向けて歩みを進めていた。トニーの様子を見に行こうと先程生徒会室を出たところ、マシューは当然のようにエイダも一緒に行くだろ?と声をかけた。話しかけられたエイダはというと、迷惑そうな顔をしたもののキャロルとマシューにはやし立てられるように気づけば2人と医務室へ向かう運びとなっていたのだ。途中でばっくれてしまおうかとも考えたが、トニーの様子を確認しておきたかったのはエイダも同じだったので少し後ろから2人の後を追いかけることにしたのだ。医務室へと続く廊下は、天井が高く天窓から降り注ぐ光に包まれている。日が傾き始め徐々に月が見始めた頃、薄暗い影が背中から追いかけてくるようだった。
「そういえばトニーだけじゃなくてリュンも医務室にいるんだって?さっき、シスターがそう言っていたんだ」
長い廊下を医務室へと進みながらキャロルは隣にいるマシューに話しかけた。マシューもその話はきいていたようで2人はリュンの心配を口にする。彼女の姿が見えないのはそのせいだったのかと少し後ろについて歩いていたエイダは真っ白な髪を短く切り揃えた少女の顔を思い浮かべた。口では嫌いなどと言ってみせるものの、エイダは多少彼女に好感を持っていた。いつも明るく巫山戯たような仕草の彼女に医務室は到底似合わない。エイダは思案する顔に不安を浮かべた。
医務室の扉は担架で運ばれる人も少なくないため、両開きになっておりその入口は人が3、4人は横並びになれると言うほど広々としている。換気の時間なのかその扉は開かれたままであった。3人は静かに部屋へと足を踏み入れる。医務室は広い作りになっておりベットが部屋の左右にいくつも並べられている。部屋の一番奥のベッドのカーテンだけが閉められており、そこにトニーとリュンがいるということがすぐ分かる。ほかの利用者はいないようだ。また、普段であれば在中しているシスターがいるものの今はその姿が見えない。シスター方も今朝のことがあり今も慌ただしく動いてるのだろう。医務室にはおそらく、マルセルだけが残り2人の面倒を見ているに違いない。
3人は寝息を立て休んでいるだろう2人のことを考えなるべく音を立てずに部屋の奥へと進んだ。
「……それで、何がわかったっていうのかな?」
「……答え合わせにはまだ早いさ、全員が集まってから出ないと」
「……もう少し待っても来ないようなら……」
トニーとリュン、もしくはマルセルの3人しかいないだろうと思っていたが何やら数人の話し声がする。先に見舞いに来ている生徒がいたのだろうか。3人は医務室の一角にそっと顔を出した。
ベッドにはトニーが、その隣のベッドにはリュンがそれぞれ利用している。ただ、2人は既に目を覚ましているようだ。トニーは足をベッドの外に下ろしマットレスに腰掛けるように座り、リュンは上半身を起こし暗い表情でブランケットを握っていた。その付近にはマルセルが2人の様子を伺うように備え付けられた椅子に座っている。
「あぁ、ようやく生徒会様のおでましか。随分遅い到着だな」
キャロルやマシューをからかう様に彼らの後ろからカツカツと音を立てて現れたのはハロルドであった。思いがけない人物の登場に3人は驚き目を丸くさせる。ハロルドは相変わらず生徒会への対抗心に舌を巻いている。
「ドクトリク……!なんでオマエがここに……」
エイダが驚いてハロルドに指を向けワナワナと震えているが、ハロルドはそれを愉快そうに受け入れた。
「やあ、同志よ!会えて嬉しいよ。だが残念だな。君は既にカルぺディエムのメンバーであるというのにまさか生徒会の者と共に行動しているとは」
やれやれといった様子で彼は両手を左右に広げ顔を俯かせる。わざとらしいその仕草にエイダは彼に向けていた指をきつく握りしめ心底呆れた顔つきで睨みつけた。不服であると彼女が言っているのは明白だ。その後ろにはドロシーも顔を出しており、現れた妹にマシューは狼狽えた声を出す。兄さん、今朝ぶりねとドロシーは小さくその手を降った。

「ここは医務室でしてよ?病人の前で大きな声を出すだなんて。はしたない真似よしたらどうかしら」
今度は誰だ、とその声のした方へと何人かが振り返る。キャロルたちが医務室についたすぐ後に誰かがやってきたのだろうか。そこにはまったくと冷たく言い放ち、背筋をぴんと伸ばした長身をこちらに向けるカタリナがいた。そのすぐ後ろにはテティスとディオネ、ラムダ、ブレットが続いて医務室へと入ってくる。いきなり増えた医務室の人口にマルセルはおいおいと苦笑いを浮かべた。マルセルの心配はよそに皆、怪我をしている訳ではなさそうだ。別の目的があるのだろう。ハロルドはそれを予想していたかのようにくつくつと喉を鳴らす。
「無事全員集まりましたねぇ。その様子だと皆さん既にシドさんの部屋には向かった見たいですしこの場をお借りして本題に入ることにしませんか?」
ハロルドの横から礼儀正しい口調を流暢に並べたドロシーが笑みを浮かべ集まった者達にそう述べる。彼女の言う本題、とは何なのか。この場にいるものでそれを分かっているのはドロシーとハロルドだけのようだ。マシューは自分たちにそう語る妹になんの事だと頭に疑問を浮かべ説明を求めた。
「……ここはそういう場所じゃないんだけど。仕方ないか、まずはみんな腰掛けて椅子はその辺のものを勝手に使っていいから。説明はこの2人が一からしてくれるさ」
マシューの問いかけに答えたのはドロシーではなく深いため息をついたマルセルであった。いくら利用者が他にいないからといってこの場に長居するつもりの彼等を少し迷惑そうにしているようだ。
当然、トニーとリュンの様子を見に来ただけのキャロルやマシュー、エイダにはなんの事だか分からない。また、そのすぐ後にやってきたカタリナたちもなんの事だか分からないと言った顔をしている。彼等も恐らく、トニーやリュンの様子を見にやってきただけなのだろう。
「ではこの場をお借りしてご清聴願おうか。これは我が相棒ドロシーと僕ハロルド・ドクトリクのしがない妄想、いや推理と言うべきかな。まあ、座ってきいてくれたまえ」
じくりと聖痕が疼く。
今から何が始まるのか、心臓は緊張の音を上げた。
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ハロルド・ドクトリクはある疑問を胸に持っていた。それは先日の出来事、学院に出没する怪しい人影について。そしてその犯人は切り裂き魔なのではないかと疑う人物がいることを。彼は常々胸につっかえる何かを感じていた。その違和感の正体は、今朝起きたシド・キングストンの件の話を聞いた時からやけに明るくその全貌を顕にし始めていたのだ。
まず、その一声を聞いた時。
「昨晩、また怪しい人影を見たんです。もしかしたら、と思ったんですが」
それはシドの寮室とは少し離れたしかし同じ棟の部屋の生徒の証言であった。
ハロルドが今朝方シド・キングストンの死体が見つかったという知らせを聞いた時のこと。すぐそばに居た生徒がそういえば、と彼にそう教えてくれた。犯人を探す手がかりになればいいと思ってとその生徒は言葉を付け足す。
その後、ハロルドはその生徒に彼なりにお礼を済ませドロシーと合流しシド・キングストンの部屋へと足を運ぶこととなる。
彼の部屋についた時、そこには数人のシスターがいた。既にその部屋からシドの遺体はどこかに運ばれたようだ。だが、明らかに血溜まりがそこにあっただろうと言わんばかりにベッド周辺が真っ赤に染まっているので2人はシドが先程までそこにいたのだということを理解する。部屋の様子は至って生活感に溢れており、乱雑などではなく丁寧に整えられている。彼の性格からして普段からこのように整えられているのだろう。犯人とシドが争った形跡が無いことは見て取れる。壁から天井にかけて生々しく血飛沫が上がっているのが目を引き、詳しく話を伺おうと血塗れのシーツを片付ける妙齢のシスターに声をかければ彼女はマルセルに聞けと言った。それを聞いた2人は医務室へと行くことにする。
その途中、生徒寮のある塔を抜け医務室へと続く廊下に足を向けたあたりで新聞サークルの生徒が必死に号外を配っている姿を見つけた。彼等がどうやって鍵つけたのかは謎だがシドの死について何やら情報を掴んでいるようだ。廊下には生徒が読み捨てたのであろう新聞がクシャクシャな状態で投げ捨てられてあった。そして、その紙には「銀のナイフを心臓に突き刺された死体」「第2の被害者」という文字が大きく見出しになっている。銀のナイフを心臓に突き刺されているというのはシスターの死体が見つけ出された時の様子と酷似しているではないか。2人は眉を顰めその新聞を眺めていた。
死体に関する詳細はマルセルに報告が上がっているという先程のシスターの言葉を信じ2人は医務室へと歩みを早めたのだ。
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ハロルドはここ医務室にやって来るまでの経緯をそのように説明した。その話を聞き、シドの部屋を見た他の生徒たちも彼は犯人と揉めた訳では無いということを改めて確信する。憶測ではあるが、顔見知りである犯行が大いに考えられるのだ。
ハロルドのその話を聞き、テティスがそういえばと口を挟む。元来、大人しく礼儀正しい性格の彼はあまり他人の話に横槍をいれるような人物ではない。しかし、なにやら神妙な顔つきをしているところをみると彼もまた重要な事に気づいたとでもいうのだろうか。
「そういえば、僕も生徒寮に向かう時にある生徒から話を聞きました。その生徒はシドさんと部屋が隣だそうで。」
「生徒寮には壁が薄くて隣の部屋と騒音問題になることもありますよね?彼らの部屋も壁がうすかったみたいで。些細な音でも耳をすませば聞こえてしまうらしいんです。」
「シドさんのあの性格ですから幸いにも特にトラブルにはならなかったそうなんですが。昨晩、夜中にシドさんの部屋に来客があったとその生徒が言うんです。」
「部屋のドアが開けられた音がして、暫く2人の人間が話し合う声が聞こえたとか。決して言い争うようなものではなく大きな声ではなかったみたいです。ただ、1人は男性の声でもう1人は女性の声のように感じたと……」
テティスは困ったように眉を下げながらそう報告する。女性の来客という言葉に全員が犯人像を思い描き慄いた。
「それはそれは。ブラザー、重要な話をどうもありがとう。興味深いな……」
テティスの話を聞きハロルドは何か確信めいたように頷いた。その横でドロシーが一瞬その瞳を俯かせる。一体、彼らは何を知っているのだろう。
「話を続けようか。ここに来て僕たちはこの医務室の男に話を聞いたわけだが、まあそれは貴様が話す方がいいだろう」
そういってハロルドはバトンをマルセルへと渡す。その視線には嫌悪が浮かんでいる。話せと言われたマルセルはと言うと彼に命令されたことが気に食わないのか不服そうな顔をうかべた。
「まあ、僕から出来るのは遺体の状態の話くらいだよ。ハロルドに言われてってのは癪だけど……」
そう言って彼はその手にある資料を手に取った。おそらくその手の資料にはシドに関することが書かれているのだろう。彼がその資料を手にしていることに疑問を持つが彼ほど医学に精通した生徒はいない。ラムダが神学において学院から研究を命じられ特別に授業の免除を許されているように彼も同様に医学において特別な待遇を受けているのだ。
「シドくんの死因は、あの例のシスターと全く同じ。心臓を銀のナイフで一突きだよ。簡単に言えばその傷からの出血死ってところだ」
彼はとんと心臓を自身の指で突き刺す真似をする。この仕草はシスターの死因について彼が語った時と同じだ。それを聞いてあからさまにエイダやカタリナ、マシューは顔を歪める。同じ犯人の犯行なのかと。自分たちがどれだけ犯人の後を追ってもその人物の正体を見つけ出すことは愚か第2の被害者まで出してしまうとはとても情けない気持ちだ。
「その心臓の傷以外にほかの外傷はひとつも無い。本当に争った形跡なんて彼の身体には見当たらないんだ」
マルセルは資料をつかって空気を空振り叩いた。彼の大振りなピアスが揺れる。
「身体には、ね」
マルセルはダークグレーの瞳を少し伏せてそっと視線を資料から外しハロルドへと向けた。それがバトンの合図となったのか今度はハロルドが口を開こうとする。しかし、それはある少女によって遮られた。
「それは可笑しいわ」
大きな瞳は片方が癖のある髪の毛に遮られ隻眼が伺う。ハロルドの言葉を遮ったのはディオネであった。彼女の目は不思議そうに真っ直ぐとマルセルを捉えていた。
「だって、あの部屋には天井にまで届くように血飛沫が上がっていたもの。心臓を一突きにしただけじゃあそこまで血は飛ばない。」
そうでしょうというように彼女は自分の隣に控えるテティスを伺った。テティスも彼女と同じようにマルセルの言葉に疑問を持っていたようで首を強く上下に振り相槌を打った。
「姉の言う通りかと思います。それではあの傷は犯人のものと言うことになりますが犯人とは揉めたわけでは無いんですよね?では、犯人の自傷行為になりますが……」
揉め事がなかったと言うのはテティスが聞いたシドの隣室の生徒の話とも一致する。揉め事はなかったはずなのに犯人は傷を負った。それもかなり深い傷であると予想される。犯人がそこで自分を自傷したと考えるのはあまりにも不自然すぎる。双子が放った言葉に他の生徒も一様に疑問を浮かべた。
「まさか、レディに推理の先を越されるとは思わなかった。さすがだよ、あの謎解きを解いただけの事はある」
一同が介して疑問を頭に浮かべているところに、ハロルドが沈黙を破るように数回両手を叩きディオネを賞賛する。どこまでも飄々と振る舞う彼は不謹慎にもどこかこの状況を楽しんでいるのでは無いかとすら思える。
「えっと…………?」
どういう事だと言いたげな顔でトニーはそう語る目の前の人物達の顔を伺う。
「つまり犯人の身体にはおそらく深い傷が残っているということですよ」
結論付けるとそういう事になるだろう。ドロシーは3人の話を聞き、先程から置いてけぼりといった様子のトニーに向けて言った。ありがとうと小さく彼がお礼をしたのが聞こえる。
「僕とドロシーも2人と同じような疑問を感じた。今犯人として仮定されている切り裂き魔が本当に犯人だとしたらそのように不可解な行動をするのだろうか」
そもそも、少し臆病な所のあるシド・キングストンが切り裂き魔を前にして悲鳴を上げないはずがないとも思うが。と彼はその言葉に付け足した。
切り裂き魔、という言葉をきいて生徒たちは先日自分たちが寮内を回った出来事を思い出す。怪しい人影についてその正体が切り裂き魔であるかもしれないこと。また、その犯人が今回のシスターとシドを殺害したのではないかということ。だが、その切り裂き魔という犯人も今となっては何だか腑に落ちない所がある。
「切り裂き魔がこの事件の犯人だというのも、考えられないわけではないです。でもそれはあくまで可能性のうちのひとつに過ぎません」
ドロシーはハロルドの言葉に付け足すようにそう言う。まるで本当に探偵の相棒同士のようだ。
「犯人とシド・キングストンは顔見知りであること、また揉めた形跡は無いこと。シスターを殺害した人物と同一人物の犯行だとしたら犯人は学院外の人間ではなく、十中八九学院内の人物だろう」
切り裂き魔を犯人だと考え学院外部の者の犯行という線で考えていた。だが、ここに来て犯人は学院の中にいるシスター、生徒の内の誰かなのかもしれないとハロルドは言うのだ。だが、その言葉に同意せざるを得ない。
「これは僕たちが考えた結論に過ぎないが、犯人は切り裂き魔を装った犯行を行ったのではないだろうか?」
学院内の人物が、全く無関係の外部の者の犯行を装う。突然、不自然に話題に上がった切り裂き魔という存在はその布石に過ぎないのではないかとハロルドは言いたいのだろう。
パズルのピースを一つ一つ確かめるように2人は、今までの状況を説明する。何かがハッキリとしていくような気がした。周りの者も息を呑むように2人の話に耳を傾ける。
ハロルドは自身の肩にかかる白銀の長髪を手で払い除けながらこう言った。彼の髪に括り付けられた真っ白なリボンが揺れる。
「例え学院内に怪しい人影があったとしてもそれを切り裂き魔と結びつけるのはあまりに無理があるんじゃないかとあの時からずっと思っていてね。」
彼はその視線をちらりと動かす。
「そうは思わないか……?」
「……生徒会のレディ。リュン・フィー?」

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「貴様だったはずだろう?あの日、人影の正体が切り裂き魔の可能性があると話をしたのは」
1人ベッドに上半身を起こし、膝にかけられたブランケットを握りしめ震えるリュンにいきなり視線を向けたハロルドはその双眸をきつく細めた。波のように押し寄せた緊張が今度は稲妻の様に全員の背筋を貫く。唾を飲み込む音がした。
確かに、あの日切り裂き魔の話を持ち出したのはリュンであったことを思い出す。
「ま、待ってくれよ!そんな言い方したらリュンが、その……怪しい……みたいに」
リュンがハロルドの言葉に言い返す前にその隣のベッドに座っていたトニーが立ち上がり声をあげた。その顔には冷や汗が浮かんでいるが、それは元より彼の体調が優れなかったからかもしれない。
「そうさ、ブラザー。僕と、相棒のドロシーの推理は彼女が怪しいと言っているんだよ。まあ、これが僕たちの妄想だって言うならそれなりの証拠を見せて欲しいものだな」
ハロルドはカツカツと靴の踵を鳴らしリュンのベッドに近づいた。彼の影がリュンに差し掛かり彼女が顔をあげたと同時に、ハロルドはリュンの細腕を掴みあげる。
いきなり持ち上げられた右腕にかかる重力は彼女の腕を包むアームカバーを地面へと引っ張った。はらりとその布切れが肘近くに落ちた時、彼女の隠れた右腕を顕にさせる。
「………………嘘」
そう言いかけたのは誰であったか。
彼女の右腕には不器用に巻かれた包帯があった。

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そして、その包帯には今も真っ赤な血が滲み痛々しさを語っている。
「……この傷はどこで?」
マルセルはその傷について知らなかったのだろう。少し驚きを見せた後に直ぐに冷静にリュンに問う。彼女は唇を震わせ悲愴を浮かべるばかりで何も発さない。
「ちょっと待てよ、いくら何でもこじつけすぎだろ。偶然腕に深い傷があって、切り裂き魔の話をだしたからってコイツを犯人扱いか?」
その言葉に続くのはイギリス人への罵倒だろう。エイダはリュンを庇うようにハロルドの手を払い彼をきっと睨みあげる。
「あぁ同志よ。そう睨まないで欲しい。テティスも言っていただろう、犯人は女性の可能性がある」
ハロルドはちらりと横目でエイダをみるが、その視線はすぐにリュンへと向けられた。エイダはその言葉に頬を引きつかせた。
「ハッ、性別が同じだってか?人影の正体と切り裂き魔については結びつけたのが不自然だって言ったよな。オマエがこれだけのことでリュンを犯人だと疑うのも不自然だぞ。それともコイツが犯人だっていう明確な証拠でもあるのか?」
エイダがハロルドに詰め寄る中キャロルはふと、話の火中に投げ入れられたリュンを盗み見た。不器用に巻かれた包帯は自分で巻いたのだろうか。彼女の聖痕は腕に近いところにあるのだと以前言っていたことを思い出す。それを見せることを嫌っており今まで見たことは無かった。しかし、先程ハロルドによってあらわにされた腕には包帯と共に引っ掻き傷のような聖痕を見せた。腕をさする彼女の顔は伏せられその感情は読めない。1年程度彼女と共に生徒会として過ごしたが、リュンは決して人を殺せるような人間ではないとキャロルは感じていた。それはキャロルと共にリュンと時間を過ごしたマシューも同じように言うだろう。ただ、彼女が1度もハロルドの言葉を否定することのない態度に酷く困惑しているのだ。彼女の性格を考慮しても、とっくに糾弾の声を上げている筈なのに。
エイダにそう責め立てられたハロルドといえば言い返す言葉もないのか肩を竦める仕草をするだけだった。確かにエイダの言う通りにハロルドとドロシーはそのようにリュンを疑っているだけで証拠という証拠をあげている訳では無い。
「……そうね。私のお友達はそんなことする子じゃないわ。リュンは優しくて、不器用で、きっと何か誤解があるだけだわ」
そう言ってディオネは目を瞑り、誰かに言い聞かせるかのように言った。きっとそれは自分に言い聞かせているのだろう。初めてリュンと話した時彼女の名前をリュンフィだと勘違いして呼んだ時のことを思い返す。彼女に軽く怒られたが、その時だって彼女は決してディオネに無礼を働いた訳では無かった。それから何度もテティスを交えてボードゲームで遊んだことだってある。同学年なのだから、授業だって一緒に受けたし、勉強だって共にした。ハロルドは何か誤解しているに違いない。そう信じているが不安を抑えきれず彼女は自分の隣にいる片割れに寄り添うように近寄った。テティスも同様にリュンはそのような人じゃないのだとハロルドに声をかける。
「彼女の性格は皆さんもご存知の筈ですよ。確かに粗暴な所はありますが決して悪気があってしている訳ではな」
「インテュイショニズムだなぁ……」
テティスがリュンを庇うその発言を遮ったのは誰でもない、リュン本人であった。その表情はもういいよとでも言いたげだ。彼女の瞼には深い哀愁が籠り今にも涙が溜まりだしそうだ。
「……どうしてばれないとでも思ったんだろうね。これから先も平然と生きていけると思うなんて大間違いだよ」
分かってた筈なのに。そう小さく呟いた彼女の目は何処かを見つめている。その瞳は睨みつけるように強い怒りを孕んでいるようにも見えた。
インテュイショニズムだなんて、この場にいるだれがそんな言葉を知っているというのだろう。彼女は賢い。一般的な人は読まないであろう難しい本だって読む、様々な知識だって人より多く持っているし頭もよく回る。普段から呆気からんとした態度のため誤解されやすいところはあるが。彼女が悲しげに笑みを浮かべこちらを見た時、それは彼女の無言の独白なのだと言葉にしなくとも分かった。
「……ねぇ、トニー。シドは笑ってたんだよね?」
リュンはベッドから動くことなくその視線だけをトニーに向けてそう問うた。いきなり質問を受けたトニーは目を見張る。いつまで経っても自身が犯人でないと否定することのないリュンの姿に胸が芽吹きを唸るように感情が込み上げる。それは到底怒りなどというものでは無い。上手く言葉を発することが出来ずただトニーはリュンの言葉に何度も強く頷いた。喉の奥から込み上げてくるそれがトニーの声を封じている。そっか、とあまりに呆気なく、しかし酷く安堵したように彼女はトニーの返事を奥歯で噛み締めた。
その光景を前にトニーだけでなく誰も言葉を発することが出来なかった。
「……庇ってもらえるなんて思っていなかったから。ありがとう。でも、私はそんな綺麗な人間じゃないよ」
彼女は淡褐色の瞳を閉じ、何かを思い返すようにして言った。
心が綺麗なのは、きっと彼の方だ。
「この傷はね、自分でつけたんだ。シドと揉めてないっていうのは誤解があったみたいだね、ナイフを前に少しあってさ……」
閉じられた瞳に今どんな感情が浮かんでいるんだろう。彼女は瞼に思い描いた昨晩の出来事を他の者に話すつもりは無いのだろう。それ以上何か次の言葉を紡ぐことはなかった。
一悶着あった末についた傷だということは分かったが、どうして彼女は天井にまでついたその血飛沫をそのままにしたのか。シドの身体にも同じように傷を付けておけば彼女が犯人だということはばれずに終わっていたかもしれないのに。何処かで自分が犯人であるという証拠に繋がりうる何かを残しておきたかったのだろうか。それとも、彼に無意味な傷を付けたくなかったのか。両方か。それが本人の口から語られることは無い。
「一緒に背負った罪だったのに。私だけ、許されようなんて。そんな我儘どこの神様が目を瞑ってくれるっていうんだろうね。シドはやっぱり馬鹿だなあ……」
シドの名前を口にしてへらりと笑った彼女は照れくさそうに、それでいて淋しがりな子供のようにそう言った。喪失感だけがリュンの胸に残る。
そして、その姿を目に焼きつけるかのように誰もがその場で言葉を失った。
あまりにもあっさりと、自分が犯人だと認めるリュンにどう声をかけたらいいのか誰もわからなかったのだ。何があったのかと事情を聞くことさえはばかられるほどに。
医務室は既に薄暗く、窓の外の光は時間の経過を無慈悲に告げている。何があっても太陽が沈み月は昇る。神はそのように世界を創造したから。どれだけ止まって欲しいと願っても。どれだけ戻りたいと祈っても。
何を悪とし、何を善とするか。運命すら神は定める。では、彼等は何に祈りを捧げるのか。彼は何を必死に祈ったか。それはひとえに愛であることを、悲しくも言葉にしなければ彼女には伝わらないのだろう。そうして、致死量を上回った愛は行き場を失いやがて魂を穢すが如く彼の精神を蝕む。抱えた罪の重さにどれだけ自身が喘いでも彼女だけは救われて欲しいのだと願う。隣人愛など語るには当に度を越している。最後に身を結ぶのは死による魂の解放であることを彼はきっと知らなかった。知っていても彼女の救いを願っただろうけれど。
そして彼女もまた、そんなこと分かるはずもなかった。
_______________

不透明なまま、確かにあらわになった犯人、リュンという生徒はその後キャロルとマシューによって報告を受けたシスターに彼女の処分を任せた。
力なく膝を曲げる彼女の腕を真っ黒な服に身を包んだ女性が丁寧に介抱し彼女は古くから学院に存在する地下室へと連れ去る。地下室とは、学院が設立されすぐの頃、懲罰房として悪さを働いた生徒の行き場だったという噂があるいわく付きの場所だ。食事を抜かれて何日も閉じ込められるのだとか。リュンがその地下室へ連れられると聞き、ディオネやトニーがリュンにあまり酷いことをしないで欲しいとシスターに嘆願するとシスターは慈悲の微笑みを浮かべた。どうにも、地下室は単に現在使われていないだけの空き部屋があるだけでその噂は出鱈目なのだと。然るべき対処が決まるまでは清潔な部屋で皆と変わらない食事を運ぶと約束してくれた。
地下室へ行く前に、とリュンはゴソゴソとそのポシェットから何かを取りだしトニーへと駆け寄った。その手には赤い紐でくくられた白のロザリオが握られていた。そしてロザリオには赤黒いものが付着してこびりついている。それはシドのロザリオで間違いなかった。

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「どうしてこれを?」とトニーが言うと、シドの遺体が回収されたあと医務室で寝ていた自分にシスターが渡してくれたのだと。トニーはシドと親友だったから、と彼の手にそれを押し付ける。トニーは顔を酷く歪ませてそれを拒んだ。自分が持つべきではない。そう言ったがリュンは、それを無視しシスターに肩を抱かれながら医務室の扉の方へと歩き出した。
シドは最後、確かに微笑んでいた。彼は苦しんで死んだのではない。これは、トニーなりの推測ではあるが、彼はおそらくリュンが自分を殺そうとナイフを向けた時そのナイフを奪おうとしたのでは無いだろうか。リュンがどんな理由でもって彼を殺そうとしたのかは分からないが、シドはリュンのことを想っていたから。そしてリュンもシドのことを想っていた筈だから。彼女に罪を犯させる位なら自ら死を選ぼうとそのナイフをリュンの手から奪おうとしたのでは無いだろうか。そのはずみに彼女の腕には深い切り傷が付いてしまった。狼狽えるシドの隙を見てリュンは……。だが、それもまた、彼にとっては受け入れ難いことなどではなくシドはリュンの全てを受け入れたのだろう。薄れゆく意識の中で彼はこのロザリオを握りしめ神に何度も祈ったに違いない。彼女が救われるようにと。自分を殺した自責の念に精神を食い荒らされることがないように。どうか神が彼女を許してくれるように。白のロザリオには不釣り合いな汚れがそれを物語っているようだった。
トニーはシドの姿を思い浮かべ、到底言葉には出来ない様な感情を胸に抱いた。
あぁ、何故……。
「……………わ…い」
ぼそりと呟いたその言葉は誰に届くことも無い。
ロザリオを握りしめるトニーを背に、医務室の扉をくぐろうとしたリュンがぴたりとその歩みをとめる。
こちらを振り返った彼女は神妙な顔つきで言った。
「シスターを殺したのは私じゃないよ」

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マルセルは薄暗くなった医務室にランプを灯す。炎はやがてガラスの中で大きく成長しゆらゆらと踊るように揺れる。言いしれない恐怖が全員の背中を伝った。










next……



























彼は色欲
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彼女は純白
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