episode2.見つめる先

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日差しを遮るものはなく直射される日光が肌を突き刺す。容赦なく襲い来る暑さが現在の気温の高さを物語っていた。
現在、授業の全てが終わり、チャイムの出番が終わった頃、メインストリート外れに位置する塔の入口付近で箒を手にし、せっせと働くマシューの姿が学院中のどの部屋からも覗き見ることが出来た。
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「本当なのか?見間違いじゃなく?」
「本当にあったんだ!森の奥に建物があるなんて……どうみても怪しすぎるだろう!」
大体お前じゃないんだからそんなもの見間違う筈もないだろう、とシドがスチールグレーの癖っ毛が無造作に乱れたトニーに指を向けて声を荒らげ強硬に主張する。授業終わりに2人は廊下を早足で歩いていた。

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シドが立ち入り禁止の森の奥に何か建物を見つけたと報告するため生徒会室に向かっていたのだ。人に指を指すなよ、とトニーが論点をずらしそろそろ話題が逸れる所で他の部屋より幾分か重厚な生徒会室の扉が目の前に見えた。
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生徒会室にはキャロルとマシューが机に向かい何やらペンを持ち紙に向き合っているようだ。誰かひとり欠員が生じているためその穴を埋める作業が大変そうにみえる。察したシドが誰もいない机と椅子をじとりと見つめ、細いため息をゆっくりと吐き出した。
「何か有益な情報でも見つかったのか?」
書類から顔を上げマシューが2人にそう投げかける。事の発端である禁じられた森の奥に存在する建物についてトニーとシドが言葉を転がした。
「その報告なら既に何人かもくれていたんだ。生徒の見間違いということも考えたんだけど、流石に見た生徒の数が多すぎるね」
「調査をする以前から一般生徒からもその話を聞いていたんだが、やはり森の奥に建物があるのは本当みたいだな」
書類仕事と睨み合っていた筈のキャロルとマシューが顔を上げ2人の話に相槌をうつ。思いつく言葉を掻き集めるようにしてキャロルとマシューは口を開いた。
「学院の警備は万全なんだ。学院は湖で囲われているから正門以外の入口はない。でも正門には常に鍵が閉められているし見張り番もいるから許可のない者には扉を開けない。学院内の見回りもシスター方が執り行ってくれている。」
「もしも今回の事件の犯人が外部の人間だったとして、犯人が身を隠しながら侵入するなら立ち入り禁止の森からだと考えていたけど……」
「一度森を調査する必要があるかもしれないね。」
ふむ、とキャロルが持っていたペンをくるくると指の上で回しながら話す。トニーがキャロルの言葉よりそのペン回しに感嘆していた次の瞬間には回していたペンを床に落としていた。
「でも学院には周りを囲うように鉄柵で覆われていますよ……?犯人が森から侵入するとしても彼処の柵にも簡単に侵入できないように鍵がかけられているはずだ」
トニーとは対照にキャロルの話を聞きシドがそう口を挟む。鍵がかけられていては外部から侵入はそう簡単ではない。鉄柵はよじ登ることができないように一般的な男子生徒の身長よりも頭3個分程度は高く設置されている。鍵のかけられた柵の扉を開けないことには侵入は困難だ。
「シドの言う通りだな。森に繋がる柵の鍵は物置にあった筈なんだが、その物置にも鍵がかけられてるんだよな……」
「確か……鍵の管理者はシスターブラウンだ」
マシューが挙げたその名前を聞いてげっと大声を出したのはトニーだ。その額には冷や汗が浮かんでいる。シスターブラウンといえば、教会に古くから務める老巧なシスターであるがその齢は90歳を超えるそうで所謂モノボケが始まってしまっているのだ。シスターは基本教鞭をとり生徒に学びを与える者と教会の雑務を担う者の二つに分けられている。シスターブラウンは前者であり痴呆が酷くなる前は生徒に手厚い指導を行う厳しい教師でもあった。その頃のシスターは園芸に精通しており学院内の庭園の草花を植栽し、柵や石畳などで装飾を施し庭作りに励んでいたらしい。今は教鞭を置き学院の草花を愛で余生を過ごしているが些か庭に対する熱意が激しい。ひとたび生徒が花を散らそうものなら齢90を超える方とは思えないような足取りで追いかけ回し捕まれば延々と説教が行われる始末だ。察するにトニーは何度か彼女からそのようにご指導を受けたことがあるのだろう。
「まさかシスターブラウンに物置の鍵を開けて貰おうなんて思ってないですよね?俺、あの人目つけられてるんだよなぁ……」
起こりうる最低の想像をしトニーは右手で空を押し上げるようにし、唇をゆっくり小さく動かした。そのあからさまに嫌そうな顔をし、青ざめた顔のトニーにその通りだと言える無神経な者は生憎この場にいなかった。
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「物置の鍵……ですか?一体どのような要件で彼処の鍵を開けようと言うのですか?言っておきますが生徒に鍵を渡すなどそのような行い到底許されるものではありません。並大抵な理由で渡されるとは思わないように。そもそも本来であれば話を聞くことすらやめているところです。しかし生徒会の生徒である貴女方からの言葉であるからこうしてわけを聞いているのです。ええと、それで、なんの話しでしたか?」
シスターブラウンはメインストリートに設置されたベンチに腰掛けゆっくりとした口調でしかしハッキリと淡々と言葉をつらつらと並べる。彼女の話がとても長いことを知っているトニーはマシューの後ろに身を隠しながら頬には苦笑を浮かべている。
「何だかすんなり鍵を渡してくれそうにないね」
口元に手を添え小さな声でキャロルがそう言った。鍵を渡す云々をよそに全く話が通じていない。シスターブラウンは相当耳も遠いのでコソコソと話す必要などないのだが、キャロルはそれでも小さな声で後ろの3人に声をかけている。シスターブラウンは話を聞いていないどころか目を閉じ半分程度寝かけているのではないかというくらい微動だにしないので心配になる始末だ。
「適当な理由をつけて物置の鍵を貰うしかないな」
物置小屋には庭園を整える際に必要となる鋏やシャベル、使われていない鉢入れなどが収納されているのだがあまり使用されている様子がない。そこまで重要な物が仕舞われているわけでもないためこうしてモノボケの始まっているシスターブラウンのような方でも管理が任されているのだ。
一度物置に保管されている柵の鍵の在処を確認し、できれば森への立ち入りを許可して貰おう。
「シスター、私たちは事件解決のために主席司祭様から調査を命じられているんです。そのために物置の鍵を開けていただきたいのです。」
至極真っ当な理由をマシューが腰を曲げ爽やかな笑みと共にシスターブラウンに丁寧に説明する。彼女は耳が悪いのでマシューは言葉をゆっくり大きな声でなるべく彼女の耳に届きやすいように伝えた。
「そうですか。それで、何の話でしたか?」
とうのシスターブラウンといえば相変らず全く話が通じていない。マシューの後ろに身を隠していたトニーがやっぱりだと首を垂れ落胆している。
「シスターは耳が遠いだけじゃなくてとんでもない痴呆なんです!何言っても話が通じないから延々と平行世界ですよ……」
トニーは遠い目をし在りし日を思い出す。トニーもそのそそかしい性格から不注意で説教を受け弁明の余地もなく延々と彼女から長い説教でも受けたのだろう。
「シスターブラウンは庭の話しか耳を通さないんだ……」
俺が何を言ってもこの人は……。相当搾り取られたのだろうかトニーは意気消沈しぐったりとしている。名前を聞くだけで青ざめる程なのだ。流石のシドも同情し彼の肩を軽く叩いている。
「それじゃあシスター、俺たちが庭仕事を手伝いますよ。そのためには道具が必要なので物置小屋の鍵を開けてくれませんか?」
キャロルが苦肉の策としてシスターブラウンに提案するとまったく反応のなかったシスターがぴくりとする。固く瞑られた目をゆっくりと開け彼女は口を開いた。
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「そういう経緯で、塔付近のこの芝を掃除することになったんだ」
けろっとした顔で竹製のほうき手に持ちながらをキャロルがそう言う。その顔はこれからピクニックにでも行くのだとはりきっている初等部の生徒のようだ。塔の前には生徒が7人ほど集められていた。
「全くそんなしょうもない理由で私を呼ぼうなんて大迷惑ですよ!忙しかったのに!」
ぶーぶーと講義しているのはリュンだ。その横では芝に腰を下ろしぶーぶーと声に出しているラムダがいる。生憎その様子は半分程度寝ているようにしか見えない。2人は一緒に図書室に居たようだ。

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「忙しいって……どうせ図書室で騒いでいただけだろ」
「ちょっとちょっと!ラムダ先輩の横で本を読む事のどこが忙しくないことになるのかな!え?さては羨ましいの?そうなの?」
「なわけないだろ!僕は図書室は……」
「幽霊がでるから行きたくないんだよな!誰だって幽霊は怖いぜ、シド!」
「な!ちが......!あぁ、ストレスだ。早く掃除を終わらせよう、掃除より面倒な奴らばかりだ……」
大体どうして僕が掃除なんてしなくちゃいけないんだ、箒なんて手にしたことも無いのに。何かとブツブツ文句を言いながらシドは誰よりも早く枯葉を黙々と集め始めた。
「ねぇ、マシュー。これ終わったらここに落ちてる木の実でなんかつくってよ」
ブレットは屈託のない笑顔で木の実を数個あつめ大事そうにマシューに手渡している。無理だろとマシューは心の中で思い眉を顰めているが一方のブレットは絶対的な信頼をマシューに向けている。こちらも噛み合っていない様子だ。
「あ、足りないかな。ちょっと待ってて!今マシューが満足するくらい持ってくる!」
「待てブレット!掃除を……」
木の実をどれだけ集めても調理が出来そうもないがそれをブレットに伝えることが出来ないほど一方的な信頼を向けられ、困惑しているのはマシューの方だった。遂にはキャロル!キャロル!とキャロルまで巻き込んで木の実を探し始めたブレットをみて2人分の箒を両手に持ったマシューは彼に話しかけるのを諦めた。
その手に持つ箒はシスターブラウンから無事に手渡された鍵によって開けた物置のものだ。物置には案の定、庭の整備に使われる用具が1式揃っていた。頻繁に使われるものは物置にはしまわれずに保管されているため物置に仕舞われた用具は少し型の古い旧式の物が多いように見えた。しかしシスターブラウンが定期的に管理しているからか錆などが目立つことはなく比較的綺麗にされていた。
小屋の奥にはもちろん例の鍵がかけられていたが、シスターブラウンは全くと言っていいほど話が通じなかったので森への鍵はこちらで勝手に拝借することにし、後から司祭様に許可を頂いたらこの鍵を使って森への調査に向かうつもりだ。
まずはシスターブラウンに頼まれたここの芝を綺麗にすることから始めなくてはとマシューは1人意気込んだ。周りを見渡しても真剣に掃除をしているのは少数なので人手を集めてすぐに終わすという計画は人選ミスに終わった。
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「な、な!どうしてそうなるんだ!」
掃き掃除をせっせと行っていたシドがプルプルと箒を握りしめながら突然大きな声を出した。その声には流石のラムダも目が覚めたようでシドが騒いでいる方に顔を向ける。そのすぐ傍には枯葉が多く散らばっており、トニーが腹ばいになって倒れていた。状況を察するまでもなくシドが集めた枯葉をトニーが不注意で散らかしてしまったのだろう。シスターブラウンも彼を問題視するわけだ。
「わ"ーー!悪い!本当に悪気はなかったんだ!」
へへと笑いながら謝っているトニーにそんな出来事には十分慣れてしまっているシドは怒ることも無く呆れてものも言えない。
「また怪我でもしたんだろう、医務室に行くぞ……」
はぁと大きなため息を零しながらもシドは転んだトニーに手を差し出した。涙ぐましい友情だ、とキャロルは隣で木の実探しに勤しみこちらに目もくれないブレットを片目でちらりと見ながら思った。2人だけだと心配なので私もついて行ってきますとリュンが少し遅れて2人について行く。掃除をサボれてラッキーと背中に書いてあるほどその足取りは軽やかだ。マシューはリュンに待てと声に出かけたがそもそもリュンがいた所で掃除をする素振りも見られないのでそのまま止めるのを諦めた。人選ミスである。
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医務室には在中のシスターが基本的に存在し、怪我をした生徒や具合の悪い生徒の面倒を見てくれている。古城に作られたロプツォルゴ学院の1階に面しており教室3個分程度の広さの部屋にはベッドが2列向かい合って何個も並べ置かれている。その一角には長身の体躯を屈めて初等部の生徒たちに飴を配るマルセルがいた。
「ちゃんと手を洗ってから食べないとダメだからね」
初等部の生徒たちが数人列になって並ぶ中、順番に飴を一人一つ渡している。彼は面倒見がよく、人当たりもいいためこうして好かれやすいのだ。だが、対人関係においては何処か一定の線引きをして寄せ付けないそんな所がある。そんな彼は医療に精通しており、生徒の中で特別に医務室での出入りを許可されこうしてシスター方の手伝いをしているのだ。
シドとトニー、それからリュンの3人はトニーの願いによりシスターではなくわざわざマルセルに怪我の手当をお願いしに来たのだ。トニーは何故か他のシスターからの治療を避け嫌がるので、マルセルがいることを確認すると其方がいいと言ったのだ。医務室にはよくお世話になっている様子だし気の知れた仲なのかもしれない。
「あれ?皆さんお揃いで何しに来たんですか?」
マルセルからお菓子をもらう数人の列最後尾には少し背の丈が飛び出た少女が一人。頭の下で二つに結ばれたブロンドの髪の毛をゆらゆらと揺らしながら首を傾けているのはドロシーだった。
「お!びっくりした、ドロシーこそ何してるんだ?怪我でもしたのか?」
ドジだな、気をつけろよとトニーがドロシーを心配しているがシドがもう僕は突っ込んだりしないと固く目を瞑っている。道中もトニーとリュンの2人に随分振り回されたようで彼は怪我人のトニーよりも辟易していた。
ドロシーもまた、彼女の趣味に没頭した結果怪我をするというのは稀という訳でもなく、トニー同様に医務室に頻繁にお世話になっているのだろうか。
「私のことはどうでもいいのです!」
「それより、今の時間は兄さんと庭掃除をしているはずでは?」
ドロシーはメモを手に取りパラパラとページを捲っている。その反対の手をサッと素早く後ろに回し何かを隠したが。小さな袋紙に包まれた何か、あれはお菓子だろうか。
「でた!ストーカーはやめなさいってば!」
ストーカーじゃないです!とリュンの言葉にドロシーが反論しているが、どこでその話を聞いたのか本当に謎である。シドはその話をきいてストーカーとさして変わらないのではと今まで何度思ったことだろう。彼女のメモにはどれだけの生徒のプライベートな内容が書き込まれているのか、触れてはいけない。
「こら、医務室では静かにしないと!って、また君たちか……。いい加減に軽率な行動は控えないと体がいくつあっても足りないだろ」
呆れた様子でトニーに説教をするマルセルだが、その手は既に手当の準備を整えており手際ガよい。相当トニーは彼にお世話になっているのかもしれない。
どうしてまたこんな怪我をしたのかと聞かれ、トニーがわけを話し終わる頃にはマルセルの手当が終わりトニーの手首にはガーゼが当てられてた。話を聞いたマルセルは治療用の椅子から立ち上がり、彼の背に位置する窓辺に立った。窓を開けるとむんとした空気が部屋に入り暑さを物語る。外を見渡すように窓を覗くと遠くでいそいそと掃除に励む彼らの姿を捉えた。
「兄さーん!って聞こえないですね」
マルセルの横から窓に顔を出しぶんぶんと手を振りマシューの名前を呼ぶドロシーだったが、遠くにいる豆粒サイズのマシューがこちらに気づく気配はない。掃除に集中している様子だ。
マルセルはじっと高くそびえた塔の付近で掃除をする彼ら数人を眺めている。
「…………」
「それでドロシーはどうして?また怪我でもしたの?」
見る限り怪我をした様子もないドロシーが何故医務室に居たのかマルセルがドロシーの顔を覗き込むようにその長身を折り曲げたが、ドロシーは彼と目を合わせ微笑むだけだった。
「暇つぶしです!」
少し間を開けてから彼女が微笑むので、拍子抜けしたように力なくマルセルがころころと笑う。ここは暇つぶしで来るようなとこじゃないってば、とコツンと彼女の頭に拳をのせた。

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塔付近の芝は草が伸びきってしまっていて他の芝より管理が行き届いていない様子だった。だからこそシスターブラウンはキャロルたちにここの芝の整備を頼んだのだ。
先程のシドの大声でラムダも目を覚ましたので無理矢理にでも箒を持たし掃除をやらせ、木の実を集め続けるブレットには木の実より美味しい料理を作ると約束し掃除をさせた。無事に終わった頃には日差しの強さも弱まり夕暮れ時になってしまっていたが、一日で終われただけ充分だ。
枯葉を集め、伸びた芝を整えたおかげが見違えるほどに庭らしくなった光景を見てシスターブラウンもご満悦だ。しかしそのほとんどの労力と功績はマシューによるものである。
芝の整備は無事に終わったものの一点だけ奇妙な点があった。塔付近には石膏のマリア像が置かれている。50センチ程度の台形の石の上には150センチ以上のマリア像があるため2メートル程の大きさで古いものであるため所々剥がれた石膏からはグレーの石が見えている。現在は礼拝堂のある西を向いているが、そのすぐ真下の地面は固くなり芝生が禿げてしまっている。その形を想定するにどうやらこのマリア像は以前は森の方角をむき東を向いていたのではないかと考えられるのだ。
「東は太陽が昇り、光の昇る方向だワ。像は主の救いの光に向かい、神の国を待ち望む姿勢を示すため本来であれば東をむき設置されるはずヨ。きっと誰かが意図的に動かしたノネ」
マリア像に絡んだ苔を払うように手をかざしながらラムダがぺたぺたと像を触る。
「森の方を見つめていた……」
マシューはマリア像と森を交互に見て、やはり森を探索する必要があると手に入れた鍵を握りしめた。
「かつては東を向き太陽を追いかけたこのマリア像も時と共にあれから背を向けられました。これは禁忌とも。深く知るべきではなく、閉じられたものです。注意なさい、主はいつもすぐ側で貴女たちを見ているのですから」
森の奥から目をそらすようにシスターブラウンが瞼を閉じ独り口を開く。その様子は酷く流麗でまるで神に仕える修道女の鏡のような姿であった。
「そういえば、貴方たちの他にも物置の鍵を開けて欲しいと頼む生徒がいました。」
時期に日が暮れ夜が訪れる。カラスの鳴き声が辺りにひびき渡った。
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「ねぇ、テティいまカラスが鳴いたわ。そろそろ日が沈みかけてきたみたいね」
ディオネは同じ歩幅で隣を歩く自分よりも背丈の高い片割れを見上げた。2人が歩いているのは学院の中でも中央に位置する廊下だった。直接外の光が届かない廊下には明かりが灯されており明るいがなにぶん外の様子が分からなかった。
ディオネの手には手のひらより少し小さいか大きいかくらいの紙が握られている。その紙には何やら記号が書かれているのが見える。
「この謎解きは何を意味してるのかしら……」
ディオネが手にしていたのはカルペディエムからの挑戦状という名の謎解きだったのだ。謎解きの答えは単純で単語は金星を意味していた。手がかりとなる文には悪魔を意味する言葉があり、金星という言葉から明けの明星の悪魔であるルシファーを表していることが分かった。だが、ディオネはその先の答えが分からずにいたのでテティスに相談していたのだ。
学院の各部屋には名前がつけられている。その名前は天使の名前を冠しており、ミカエルの間、ウリエルの間といったようにそれぞれ振り分けられていた。
「誰かが言っていたんだ、この辺りに天使の名前を冠した名前でなく悪魔の名前をつけられた部屋があるって……」
その名はルシファーの間と名付けられシスターや生徒が立ち入ることの無い学院の中央、迷路のように広がる廊下の先にあるのだとか。そのためここ数日謎解きの答えを見つけるためにテティスとディオネの2人はこうしてルシファーの部屋を探し回っていたのだ。
「でも、どうしてここまで謎解きに夢中に?こういうのが好きだったなんて知らなかった」
「別に好きではないけれど、答えを見つけてあげないときっと悲しむ気がしたから。付き合わせてしまって申し訳ないわテティ」
ディオネは誰が悲しむとは言葉にしなかったがテティスは十中八九彼のことだろうと長髪の彼を思い浮かべる。姉が懇意にしているのは知っていたし、自分もゲームに関して手合わせを願ったこともある。
彼は掴みどころのない人だった。雲を掴むようなぬらりくらりとした人であり、或いは掴ませないような要領の得ない人。自分とは対極に位置した人だ。聖人君子のように姉の幸せを願い神に祈る自分と天国や救済を信じることない彼に彼女は何を思い何が違うと比べて何が足りないと思うのだろう。否、彼女はそんなこと考えていないだろうことは分かっている。わかっているつもりでいるのだ。
「やぁ、レディ!ブラザー!ここにたどり着いたのは君たちが初めてだな、おめでとう祝福するさ」
迷路のように複雑な廊下を一つ曲がった先に、扉に背をつけこちらに体を捻るハロルドがこちらに手を降っていた。この廊下を曲がっても見つけられなかったら今日はもう食堂に向かってご飯を食べようとしていたところだった。ディオネとテティスは顔を見合わせほっと息をつく。
ハロルドは扉から離れカツカツと靴を鳴らしながらこちらに向かって歩いてくると、ディオネの手に握られた紙をひょいと上から奪い取った。ジロジロと自分が用意したであろう謎解きを見つめながらこれを解いてやってきたのか!と感嘆している。結ばれた艶やかな白髪が備え付けられた白熱灯に照らされて輝いていた。
「偶然よ、適当に歩いていたら貴方がいてそれが正解だっただけね」
自分の作った謎解きを眺めてもっと難しくするべきだったか等と思考を捻らしているハロルドを見上げディオネが微笑んだ。ハロルドは紙から顔を上げ彼女を見つめてニヤリと口角を上げ愉快そうに声を出して笑い始める。
「いや、運も君の力だよ。ここを見つけたのが君たちで良かった」
「ここは我がカルペディエムが占拠している部屋のひとつなんだ。ルシファーの間なんて悪名高い名前をつけられてしまっていてね。その名前のせいか他の生徒もシスターも何故か立ち寄らないから、便利に使わせてもらっている」
「以前は誰かが使用していた痕跡はあるが、今は誰も使っていないようだからね。使われていないからってホコリだらけという訳でもないさ掃除をしたからね」
放っておけばペラペラと口を開くのでディオネとテティスはハロルドの言葉にほほ笑みを浮かべながら相槌を打っていた。
「中でお茶でもと思ったんだが、もう夕食時だね。ここは少し複雑な構造だし食堂までエスコートさせて頂こう」
紳士めいた行動でディオネの手の甲に口付け彼は2人を誘導する。

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くすくすとディオネが微笑んでおり、お気に召したようで良かったなんて軽くハロルドが茶化している。
テティスは口元に優しげな薄笑いを浮かべ2人を暖かい眼差しで見つめていた。
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「捻った時は痛くないんだけどじわじわと痛いんだよなぁ」
ひとりごとを愚痴ながらトニーは寮の自室へと遅い足取りで廊下を進んでいた。その手で転んだ時に捻った手首を摩っている。
「オマエまた怪我したのか、懲りないやつ」

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1人とぼとぼと歩くトニーの後ろからひょこりと現れ声をかけたのはエイダだった。
思いもよらない彼女の登場にトニーは狼狽し声が裏返ってしまう。トニーのその裏返った間抜けな声にエイダが笑い始めるのでトニーは少し赤く染った頬を隠すようにそっぽを向いた。
「なんで怪我なんかしてんだよ?今日は……」
オマエ、釣り堀にいなかっただろと言いかけたがまるで普段から自分がトニーを見ていると言っているようなものだったのでそれを口に出すのは憚られた。
エイダは池付近の木に登り授業を横着することが多い。池付近は高い木が群生しているため木が日を遮り常に薄暗いためあまり生徒たちも近寄らないのだ。未だに異国に馴染もうとしない彼女はそこを心の拠り所のように使っているのかもしれない。
「トニー名探偵が事件を紐解く為に調査してたんだぜ!」
「それで無様に怪我してんのか?さぞ探偵ってのは危険な仕事なんだな」
えっへんと効果音がつくように鼻を高く伸ばしていたトニーだったがエイダの一言にうっと顔を俯かせた。顔を突っ伏した彼はちらりとグリーンの瞳だけ彼女を見上げくせっ毛の髪の隙間からエイダを伺う。彼女はあまりこの事件解決に協力的ではなく、自分の行動も気に食わないのだろう。トニーの言葉を聞いてもあまりいい顔をしない。
「なぁ、エイダ……」
トニーはエイダに手を伸ばしたが彼女は故意にか鈍感なのか気づくことなくトニーの先を歩き気をつけろよとだけ残して、すたすたと歩いていってしまった。自室に向かっているのだろう。
「おやすみ……」
彼女には届いていないかもしれない。でも、きっと頑固でいつも眉宇を引き締めた彼女はそんなこと誰にも言って貰えないし誰にも言わないだろうから聞こえなくてもいいからと声に出した。
本当はもっと言うべき言葉があって、言葉を選べれば良かった。思わず口から出そうになった言葉を今は言わなくて良かったと思う、君を困らせるだけだと思うから。遠くを歩く彼女をその瞳に捉えたまま暫くトニーは動き出せなかった。
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「シスターブラウンが物置の鍵を誰かに渡したの……」
談話室のソファに座り足を組みながらカタリナが指を顎に添えている。ふむと考え込んでいるところに、ブレットが彼女の横でマシューから貰ったドライフルーツ入のパウンドケーキをむしゃむしゃと頬張っている。あまりにぼろぼろと口からこぼれているのをカタリナが見て信じられないと驚愕の顔を浮かべケーキを食べる時は素手ではなくフォークを用意してきちんとした姿勢で座って食べなさいと説教が始まったがブレットは意に介さない。
「シスターブラウンは詳しくは覚えていなかった、何せ妙齢だ。でもきっと女子生徒だと言っていたな」
「外部からの侵入の可能性があるとすれば森からだとおっしゃいましたわね、では学院の生徒と外部の者の共犯という可能性も出てきましたわね……」
マシューとカタリナが推論をつらつらと並べ合っているが二人の間には何故か火花がちっている。

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早口でどちらも言い合っており、段々とその声が大きくなっているので周りの生徒がビクビクとし始めた。この2人は何故か馬が合わず犬猿なのだ。
「2人とも凄いね」
うんうんと能天気に頷いているキャロルだけが二人の犬猿な空気の中に口を挟むことができるのだろう。
「森への調査だけど司祭様には話を通しておくよ、でも森は危険だ野犬がでると言うし出来れば行きたくはないね」
キャロルの言葉通り森には野犬がでるのだ。人を襲う可能性もあるため森への立ち入りは禁じられている。いくら調査のためといえど司祭様から許可を貰えるかどうか確証は得られなかった。
ただ、森に何かあることは確かで、それを確かめることが何か事件解決に繋がるといいのだが。
「シスターブラウンの禁忌という言葉が気になりますわ、一体何を知っているというのでしょう」
談話室のソファに身を沈めその肘掛をつつとなぞる様に指をはわせる。彼女は談話室に飾られたロプツォルゴ学院を写し取ったかのような精巧な絵画を見つめながら何かを考えるようにその目を細めた。
禁忌とはさわりのあるものとして忌みはばかられる物事への接近、接触を禁ずること。この教会において何が禁忌とされ何が悪とされ、何が善とされたのか。
シスターは何故殺されたのか。
絡まるばかりの謎を紐解くには何せ情報が足りないのだ。
辺りは暗く、夜が訪れ、月が顔を出した。


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嫌な予感が背筋を走る。
そろそろだ、誰かが月を眺めていた。
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