episode15 井の中のドブガエル
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顔を洗いにいこう、といって教会の外へ出てその裏庭にある井戸へと向かう。

アーノルドがしきりにフロイドの心配をして、ペルセイは俯いたままでずっと言葉を口にすることは無かった。

裏庭の奥には彼女が眠っているはずで、
でもその事を考えれば言い様のない感情に襲われる気がしてあえてその事には触れずにいた。

井戸に手をかけ、手押しポンプを押す。
いつものように綺麗な水が流れ出てくるのでその水を木で出来たバケツに貯めていく。

段々と辺りが明るくなっていた。

「……2人とも、まずは顔でも洗おう。」


そうしたら、きっとまた。
また笑顔で過ごせる?
当たり前の日々を送れる?

そんなはず無いのはわかっているのに、そんな言葉口には出来ないのに。
どうにかして、当たり前の日常を取り戻せないかと取り繕って笑うアーノルドが言う。

彼は無理にでもその顔に笑顔を貼り付けていて、それが逆に酷く不気味だった。

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貼り付けられた笑顔はとうにこの傷ましい残状に目を瞑って空想の世界へ誘われるかのよう。

「君は……」

「どうして、君は平気そうに笑っていられるんだ!人が死んだんだぞ!セレーネも、ガルも、ミアもイザベラも……!それなのに、君は……」

ほらバケツに水が溜まったよと、笑顔を向けるアーノルドにフロイドが居てもいられず彼に怒鳴り散らす。それでもその表情はただただ悲しみに暮れていた。

アーノルドがただ彼らを励まそうとしてそんな素振りをしているのは分かっていた、それでも平気そうに笑う彼が理解できなかった。

そう言えば、彼はまた困ったように笑って言う。

「俺は……。皆といっしょにいられたらそれでいいって思っていて……。」

「だから、みんなと一緒なら……」

「それが……どうして……」

歯切れの悪いその言葉にフロイドが行き場のない拳を強く握りしめた。アーノルドの表情には悲しみの笑顔が浮かんでいた。

双子の手を離したこと。

それは彼にとって勇気ある行動だったのだろう。大切な誰かを、その人のために死へ導いた。それが救いじゃないと否定してあげる事が自分たちには出来なくてそれしか道がないと気づいていた。

だから、誰にも止められなかった。
止める権利すらなかったんだ。

でも、それでもどうしても平然と笑う彼が許せなかった。悲しいと、辛いと一緒に言って

それで何になるのかは分からなかった。それでも、彼はいつも自分の本心を隠して、それでいいって思っているようでそれが凄く悲しかったのだ。




「アーノルドはいつも……!いつもそうだ……」



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縋り付くようにその場に立ち尽くす彼を見下ろして、それでもアーノルドは困ったような笑顔のままだった。そうしないといけないと、誰かに言われたようにその気味の悪い笑顔のままだった。





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先程からすすり泣くような声でフロイドがずっとしゃがみ込んだまま顔をあげない。ペルセイは何か考え事でもしているようで心ここに在らずというようにただ水の底をずっと見つめていた。

「2人とも、もう戻ろう。ローワンとリンダが心配だ。あの傷ははやく手当しないと……」

アーノルドがようやく口を開いたところで、ペルセイがようやくびくりと肩を震わせこちらを向いた。


その目が酷く錯乱していてまるであの時の彼女のようだった。

自分が何一つしてあげられなかったあの子と同じ目。

そう今にでも……。

「ペルセイ……?君もとても、顔色が悪いね。中に戻ろう、俺がホットミルクでもいれるから」

井戸の中をずっと覗き込むようにしていたペルセイの元に近づき、その背中を擦りながらそんな甘い言葉を口にした。

だから、一緒にいよう。
一緒に戻ろう。

残された者だけで何ができるか、なんてことはアーノルドは考えていなかった。ただ突然とぽっかりと開いたこの哀しみと抑えることのできない死への焦燥感をその片目に閉ざしたままにしていた。

微笑んで話しかければ、ペルセイが酷く暗い顔をしていたことにアーノルドが気づくことは無かった。彼はもう、ずっと何かに囚われていてきっと目の前のことから誰よりも目を逸らし続けていたんだろう。

見えないフリ、見ないフリ。それでするすると超えなければならない丘を避けて歩いてここまでやってきてしまっただけの小さな青年だ。

「アーニー、君は……」

ペルセイの八の字を描いた眉が妙に悲しげだった。


「ペルセイ……?」


彼の名前を口にする。音となったその言葉はなんの意味もなさない。
その瞳で、そんな愚かな彼を見つめていた。





「僕は違うんだ」




空気に振動してその言葉がアーノルドの耳によく響いた。







「あ」


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一瞬。
反転。

視界がくるりと反転して逆さまの世界が挨拶する。
そんな視界の先で僅かに見えたのは青い空と彼の不安げな瞳だった。

深い井戸の底へと金色の髪を靡かせて彼が落ちていくのを、ゆっくりと見ていた。





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何がいけなかったの。

生まれた時からずっとずっと失敗の連続だった。
なにもかもが上手くいかなかった。失敗だらけの人生で、嫌なことばかりで。でもそれは、全部自分が悪いと言うことに俺は何よりも先に、誰よりも先に気づいていた。
罪人だと、わかった時に妙に納得した自分がいたんだ。

あぁ、だから。
だから、こんなにも報われないのか。

神様なんてどうでも良くて、皆と一緒にいられたらそれでいいなんて願ったあの時のことを酷く後悔した。あの時、神に膝をおって祈るようにしておけば少なくとも誰も失わずに済んでいたかもしれないと考えてしまう。

あの手を離したのは、怖かったから。

手を離さずに2人を連れて外に出ても、自分の醜さは変わらない。自分が罪人であることを背負いながらこれから先、あんな惨めな思いをして生きていくのも。そんな惨めな思いをさせてまで自分が彼女たちを守りきる自信がなかった。

いつだって、臆病者で弱い俺がそこにいた。

彼女たちに背を向けて、階段を登った時。
死ぬのが怖い、死ぬのは嫌だ。

みんなと居たい。ずっと皆と一緒で居たい。
そんなことを神様に願った。

これが悪い悪夢で目が覚めれば、そこにはまたシスターが笑ってたりして。だから何度も瞬きをした。次に目を開けた瞬間がベッドの上で、双子たちと共に目を覚ますかもしれないと思ったから。

それでも、この悪夢が覚めることはなくて現実に引き戻される。



怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。


笑ってみせた、そうしたらきっと救われるんじゃないかって。俺はずっと思っていたんだ。
でも、笑うだけで願うだけでただそこにいるだけの俺じゃ結局なにも変えられないままだったと。

落ちていく中、思った。

ペルセイの痛みに歪むあの表情が段々と見えなくなっていく度に、彼との思い出が甦った。あの時、ひとりぼっちだった俺に話しかけてくれたのは君だった。それから、友達になってそれから、君と一緒に居た時間をかけがえのないものにした。でも、最後はあっという間だったみたい。

不思議と彼を憎むとか恨むとかそんな気持ちはなかった。彼がどう考えていたかは分からなかったけど、きっとあの表情を見るに俺が彼に感謝しているなんて思いもよらないだろう。

本当はこうして、あの時楽になっておきたかった。

一緒になって死んでおけば良かったんだと思う自分がいた。

この先生きていても、もう俺にはとうになにもないのに。
初めから何も無い者が求めすぎた結果だったんだろう。

水が冷たい。深い深い底に身体がゴボゴボと沈んでいく。息が出来ない苦しみが肺を圧迫している。酸素を求めて足掻き狂う自分はとてもじゃないけれど滑稽で醜かった。この期に及んでも生に執着する自分が気持ち悪かった。

最後に謝りたいことがあったけれど、言葉にならなかった事も。また後悔が募っていく。

いつからやり直せばなにもかも上手くいくのか、考えたが。初めから間違いなら何をどうした所で何も変わらないのを知る。



水は冷たかった。


あの時の体温を思い出して涙がそれとも井戸の水が分からない何かが頬に当たる。


醜い醜い目を閉じた。



遠くに一筋の光が見えたけれど、手を伸ばしても届かないことを知る。
手を伸ばしても伸ばしても、ずっと向こうにあってそれを掴むことは初めからできなかった。

臆病者を笑ってほしい。
なにも成し遂げられない俺を蹴飛ばして殴って痛めつけて。
笑ってから、抱きしめて欲しい。

もうここには、居たくないな。
息が苦しいんだ。
水の中の方がよっぽど楽だよ。

本当は初めから気づいていたのに知らないふりをして俺はやっぱり弱虫だなぁって笑った。




next……




















彼は暴食

いつだって異端な貴方がこれ以上化け物に近づかないように

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